熱血指揮官が確信「日本サッカー界に風穴を」 堅守速攻→超攻撃的スタイル…地元帰還は「やり残したことが」

横浜FCを率いる須藤大輔監督【写真:元川悦子】
横浜FCを率いる須藤大輔監督【写真:元川悦子】

2026年の百年構想リーグから横浜FCの指揮を執る須藤大輔監督

 2020年のJ1再昇格の後、3度のJ2降格と2度のJ1昇格を繰り返してきた横浜FC。26-27シーズンからは再びJ2に挑んでいるが、エレベーター状態に歯止めをかけるべく、2026年頭からチームを指揮しているのが、49歳の熱血指揮官・須藤大輔監督だ。

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 須藤監督は地元・横浜出身。桐光学園高校から東海大学を経て、プロ入りした元Jリーガーだ。水戸ホーリーホックを振り出しに、湘南ベルマーレ、ヴァンフォーレ甲府と長くJ2でプレーし、2006年の甲府のJ1初昇格に貢献。甲府とヴィッセル神戸で最高峰リーグを経験し、最後は東海リーグ1部だった藤枝MYFCへ移籍。ここで11年間の選手生活にピリオドを打って、指導者に転身している。

 その指導者生活も山梨学院大学Bチームの監督からのスタートだった。プロチームを率いたのは、2018年のJ3・ガイナーレ鳥取が最初。その後、藤枝MYFCをJ3からJ2に引き上げ、横浜FCというJ1経験クラブに満を持して赴いた格好だ。

「自分は雑草。常にチャレンジャーとしてやってきた」と目をギラつかせる指揮官は横浜FCをどう変えようとしているのか。彼の生きざまを振り返りつつ、本音を語っていただいた。

 須藤監督は横浜国立大学付属小中学校出身。横浜国大と言えば、横浜FCの本拠地・ニッパツ三ツ沢球技場の目と鼻の先だ。練習拠点の横浜FC・LEOCトレーニングセンターも近い。彼はまさに地元に戻ってきたのである。

「実を言うと、僕は少年時代、野球もやっていたんです。なので、保土ケ谷球場とかにもよく行きましたけど、この練習場付近は距離的に近かったのにあんまり来たことがないエリアでしたね(笑)。

 Jリーガー時代の僕にとって三ツ沢はすごく相性のいいスタジアムでした。特に甲府時代はそう。結構点も取れたし、パフォーマンスもよかったという記憶があります。

 でも逆に高校の時は苦い思い出もあります。最後の3年だった95年末の(第74回)高校サッカー選手権1回戦で強豪・東福岡と当たって、開始5秒でケガをしてしまったんです。その悔しさは30年以上が経過した今も強く残っています。もしかすると自分は三ツ沢でやり残したことがあるから、それを取り返すというご縁に導かれて、このクラブに来たのかもしれないですね」と指揮官は不思議な縁を感じている様子だ。

 オファーを受けたのは2025年末。同年の横浜FCは2022年から3年半指揮した四方田修平監督(現大分)が7月に解任され、三浦文丈コーチが後を引き継いだものの、J1・18位に沈み、最高峰リーグの地位を守り切れなかった。そこで新指揮官を誰にするかという検討がなされたところ、超攻撃的スタイルを貫いて藤枝をJ2定着へと導いた須藤監督がベストという結論に達し、白羽の矢が立ったというのだ。

「横浜FCは僕が来た1月に『HAMASPIRIT』というフットボールフィロソフィーを発表したんです。Hは『勝利のために最後まで戦い抜く』、Aは『エネルギー溢れるプレーで挑戦を愉しむ』、Mは『忘れられない熱狂の瞬間を刻む』、Aは『人々を魅了するフットボールで想像を超えていく』を示しているんですが、本当に魅力的なサッカーをして、アカデミーからトップまで一本化して選手を育てながらやっていくという方向性を打ち出したんです。

 それは自分にとって非常にやりがいがあるし、自分に合った仕事だと確信した。藤枝の時は家族の都合で甲府から片道約2時間かけて通っていたんですが、その問題も解消されて横浜に行ける環境も整った。タイミング的にも恵まれた形です」と須藤監督はスッキリした状態で地元クラブの再建という大仕事に取り組み始めたのだ。

 四方田監督が率いていた時期の横浜FCは『堅守速攻』のイメージが強かった。長い間、J2にいたクラブがJ1に上がり、定着していくためには、それが一番の近道だと彼は考えて、そういうチーム作りを選択したのだろう。だが一方で、横浜FCのアカデミーはボールを支配し、アクションを起こしながら攻撃を仕掛けていくスタイルで選手たちを育ててきた。そういう中から斉藤光毅(QPR)のようなタレントも出ている。つまり、下から上のスタイルや戦術が食い違う現象が起きていたのだ。それを修正することも須藤監督に託された命題だったのである。

「どのチームもそうですけど、監督や強化部が変わるたびに目指すべき方向性が変わってしまうのはいいことではないと僕は思います。『勝てればいい』『J1に上がれればいい』というのもよく分かりますけど、我々はどうあるべきかというビジョンを持つことは非常に大事。それは重田征紀SDや福田健二TDも感じていたはずです。

 そういう中で、彼らが藤枝のサッカーをよく見てくれて、評価してくれたのが本当に嬉しかった。今のJリーグはインテンシティや身体能力を押し出して勝っているチームも少なくないですが、自分が目指すスタイルで横浜FC育ちの選手を大きく飛躍させ、内容も結果も出せたら、日本サッカー界に風穴を開けられる。そんなギラギラした野心を持って、ここでの仕事をスタートさせました」

 そう語る須藤監督は「インプレッシブサッカー」を掲げ、攻守両面で見る者を魅了するスタイルを押し出し出そうとした。だが、その船出は必ずしも順風満帆ではなかった。彼は2026年J1百年構想リーグスタートからいきなり高い壁にぶつかったのである。(2に続く)

(元川悦子 / Etsuko Motokawa)



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元川悦子

もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。

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