引退したら「ラーメン屋か漁師」 鹿島レジェンドの素顔…元日本代表が指摘「だから強い」

西大伍「鹿島は勝利から逆算して戦っている。だから強いんだと思います」
元日本代表の西大伍は2011~18年にわたって鹿島アントラーズに在籍し、6つのタイトルを手にした。当時の常勝軍団の牽引役だったのが、レジェンド・小笠原満男(現アカデミー・テクニカル・アドバイザー)だということは、誰もが認めるところだろう。(取材・文=元川悦子/全7回の4回目)
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「自分が影響を受けたというよりは、彼がいることの大きさを一緒にやってて感じました。
正直言うと、満男さんは練習の準備も全然しないし、体のケアもしない(苦笑)。そういうところはプロっぽくない人ですね。電話をかけても全然出ないし、『この人は引退したらラーメン屋か漁師かな』と思ってたくらい(笑)。だけど、ピッチに入ったときの姿勢は凄まじかった。試合の最後まで味方にメチャクチャ厳しい声をかけてましたし、勝つために1つ1つのことを徹底的にやり抜いた人だと思います。
『勝利に絶対にこだわる』という彼の姿勢が鹿島そのもの。それが鹿島に行って一番学んだことですね」
改めて8つ上の大先輩へのリスペクトを口にした西。奇しくも、その小笠原が引退した2018年以降、鹿島はタイトルから長く遠ざかった。2025年にはクラブOBの名将・鬼木達監督が就任し、何とか9年ぶりのJ1制覇を達成し、常勝軍団復活への布石を打つことができたが、小笠原の抜けた穴というのは想像以上に大きかったようだ。
「満男さんが引退したのと同時に、僕も鹿島を離れたんですけどね(苦笑)。僕だけじゃなくて、満男さんの姿勢を知っている夢生(金崎=ヴェルスパ大分)とか源(昌子=町田)とかが一気に抜けたのも大きかったと思います」
希代のリーダーに導かれた2011~18年の鹿島は、オズワルド・オリヴェイラ、ジョルジーニョ、トニーニョ・セレーゾ、石井正忠(現パトゥム監督)、大岩剛(現U-23日本代表監督)という5人の指揮官がチームを率いた。それぞれに浮き沈みはあったが、「あくまで勝利を追求する」という姿勢にブレはなかった。
「どのチームもタイトルを取るとか勝つってことを目標にはしているけど、自分たちのスタイルとかやり方とか逃げ道を作ってしまっている。そういうなか、やっぱり鹿島は勝利から逆算して戦っている。だから強いんだと思います。
ただ、僕がいた頃はプレーの1つ1つを個人が判断する感じでしたね。自分の好みとしては相手にボールを持たれる方が嫌だったんで、つなぐことを選択するケースも多かったけど、その時々の選手構成や個々の特徴によっても違ったかなと感じます。
僕も最初は鹿島に慣れるまでに時間がかかったんで、本当に自信を持ってプレーできるようになったのが、2014~15年頃かな。チームやサポーターから認めてもらえた実感を持てたのが、そのあたりだったと思います」
迎えた2016年。このシーズンは西のキャリアにとってピークとも言える年だった。鹿島はJ1制覇を果たし、12月のFIFAクラブワールドカップ(CWC)に参戦。オークランド・シティ、マメロディ・サンダウンズ、アトレチコ・ナシオナル相手に順調に勝ち上がり、ファイナルでレアル・マドリードと激突するチャンスに恵まれたのだ。
クリスティアーノ・ロナウド(アル・ナスル)、カリム・ベンゼマ(アル・イテハド)、ルカ・モドリッチ(ACミラン)ら世界的スターをズラリと並べるビッグクラブ相手に真っ向勝負を挑んだ鹿島。柴崎の2点でリードし、そのまま逃げ切りを図ったが、2-2に追いつかれ、延長突入を強いられた。そして最終的にはロナウドの2発に沈み、2-4で苦杯を喫することになった。
しかしながら、この激闘には世界中から賛辞が送られた。西自身もこの記憶は今も脳裏に焼き付いて離れないという。
「僕は海外でプレーしなかったので、この試合がサッカー人生最大の大舞台でしたね。最初は横浜まで来た人たちもレアルを見に来た感じでしたけど、だんだん鹿島の応援に変わっていく空気感をピッチで味わえた。あれは今考えても特別でした」
今の時代はJリーグで活躍すれば、すぐに海外へ行ける環境が整っているが、西の世代は必ずしもそういうわけではなかった。だからこそ、CWCに出る意味合いは大きかった。
「2018年のACL決勝(ペルセポリス戦)もそうですけど、僕にとって国際舞台で真剣勝負をする機会というのはすごく貴重だった。ああいう経験をさせてもらえた鹿島には本当に感謝しています」
西としては、数々の成功を収めた恩のあるクラブに長くとどまるのも1つの選択肢だったはずだ。鹿島側もそれを願っていただろう。けれども、本人は外に出ることを選んだ。2019年にはヴィッセル神戸という新たな環境に赴く決断を下したのだ。
「鹿島には8年もいましたし、やっぱり(アンドレス・)イニエスタと一緒にプレーしたいというのは大きかった。そうすることで新たな成長も見込めると思ったし、また違う環境に行きたいという気持ちも強かったんですよね」
そうやって1つの場所にとどまらないのが西大伍という男の生きざま。31歳にして、それまで住んだことのない関西へと旅立っていったのである。(第5回に続く)
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)

元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。




















