森保監督が歩んだ100試合「本当にありがたい」 訪れた3つの転機…選手も認める“百戦錬磨”の解決力

ボリビア戦で100試合目を迎える森保一監督【写真:徳原隆元】
ボリビア戦で100試合目を迎える森保一監督【写真:徳原隆元】

森保監督は2018年9月からチームを率いている

 11月18日に迫ったボリビア戦(東京・国立)。この一戦は2025年日本代表ラストマッチであると同時に、森保一監督が日本代表を率いて国際Aマッチ100試合目という記念すべきゲームだ。

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「個人的には出る気持ちでいて、100試合ということも考えると、やっぱり勝ってお祝いしたいですね」とキャプテン・遠藤航(リバプール)が言えば、森保体制で不遇を味わったこともある久保建英(レアル・ソシエダ)も「クラブチームの100試合と代表の100試合は年数が違う。監督のサイクルは3年、4年と言われる中で、4年以上続けてやっているというのは、それだけ実績があるということ。僕ら選手ができることはしっかり勝って終わること。いい思い出になるようにしてあげたい」と前向きに話していた。

 選手たちからガッチリ信頼をつかんでいる森保監督自身も「私自身は数字にこだわって、意欲あるこのポストにつかせていただいているかというとそうでもない。ただ、本当に100試合というのはまだ日本のA代表ではやられている方はいないかと思いますので、本当にありがたいという思いで今はいます」と感慨深げに語っていた。

 勝率も約7割という数字も残しているが、2018年9月からの7年超の時間は必ずしも順風満帆とはいかなかった。指揮官も紆余曲折を乗り越えて、この節目に辿り着いたのである。

 振り返ってみると、最初の苦境は2019年から2020年にかけての期間だろう。第1次森保ジャパン発足当初は中島翔哉(浦和)、南野拓実(モナコ)、堂安律(フランクフルト)の“三銃士”が躍動。2019年アジアカップ(UAE)も優勝が確実視されていた。が、日本はファイナルでカタールに敗れ、2位に甘んじた。

 その後、指揮官は岡崎慎司(バサラ・マインツ監督)や香川真司(C大阪)らベテランも呼び戻しつつ、若かった久保らを抜擢。チーム再編を図っていったが、コパアメリカ(ブラジル)で惨敗。9月から始まった2022年カタールW杯アジア2次予選も青色吐息で、11月のベネズエラ戦(吹田)に4失点完敗。直後のE-1選手権(釜山)も韓国に苦杯を喫し、森保解任論もヒートアップする。

 そして東京五輪代表で挑んだ2020年1月のAFC U-23選手権(タイ)でグループ敗退の憂き目に遭うと、本当に指揮官は厳しい立場に追い込まれた。

 そんな時に襲ったのが、コロナ禍だ。代表活動ができなくなり、技術委員長も関塚隆氏(現福島TD)から反町康治氏(現清水GM)に移行。日本サッカー協会の体制も仕切り直しになったことで、解任論は収まり、再始動できる状況になった。東京五輪の1年延期もあって、森保監督は急に生まれた“空白期間”にさまざまな検証を行ったはずだが、そこが立ち直りの契機になったのは確かだろう。

 2つ目の困難は2021年10月。カタールW杯最終予選でサウジアラビア戦(ジェッダ)を落とし、序盤3戦2敗で本大会出場の危機に瀕したタイミング。当時のキャプテン・吉田麻也(LAギャラクシー)が「結果が出なければ協会、監督、選手も責任を取る覚悟はできている」と発言。チーム全体が異様な緊迫感に包まれた。

 森保監督は直後のオーストラリア戦(埼玉)で基本布陣を4-3-2-1から4-3-3(4-1-4-1)へ変更。秘蔵っ子・浅野拓磨(マジョルカ)が劇的なオウンゴールを誘発し、敗戦を免れたが、指揮官自身もこの時ばかりは冷静ではいられなかったはずだ。

 そこからV字回復を見せた日本代表は最終予選を突破。本大会に向かったが、森保監督は就任当初からチームを引っ張っていた大迫勇也(神戸)と原口元気(ベールスホット)という両ベテランを外すという大胆な決断を下した。

 かつて岡田武史監督(現JFA副会長)の下で代表招集された経験のある橋本英郎(解説者)が「監督というのはドライな一面がないと成功しない」と語っていたが、日頃、情に厚い森保監督も時に非情な決断を下さなければいけないこともある。その決断力と実行力も2022年カタールW杯でのドイツ・スペイン撃破につながったのだろう。

アジア杯後に森保監督が講じた“一手”

 3つ目の転機は2024年1〜2月のアジアカップ(カタール)ではないか。2023年3月から始動した第2次森保ジャパンは快進撃を続け、2023年はドイツを一蹴。トルコ、チュニジアといった強豪国も撃破し、「史上最強」の呼び声が高かった。アジアカップも当然、優勝候補筆頭に挙げられており、指揮官も選手たちも「自分たちは勝てる」と信じて疑わなかったはずだ。

 ところが、初戦で2002年日韓W杯の日本代表指揮官、フィリップ・トルシエ監督率いるベトナムに2失点するなど、大会の入りから躓き、2戦目で空中戦を多用してくるイラクに苦杯。インドネシア、バーレーンに勝って何とか8強には進出したものの、準々決勝でイランに敗戦。アジア勢相手に2敗という信じがたい屈辱を味わうことになった。

 この時は冨安健洋、三笘薫(ブライトン)という守備・攻撃のキーマンが負傷しており、チーム全体にまとまりが感じられなかった。「熱量を持って相手を凌駕する」といった機運も生まれず、意外な脆さを露呈する結果となった。

 そこで森保監督が講じた一手が、長友佑都(FC東京)の再招集。そして引退したばかりだった長谷部誠の代表コーチ就任だった。

「海外の強豪国も代表レジェンドをベンチ入りさせるケースは結構見られましたし、そこにもヒントはあったと思います。目に見える2人の効果? 長谷部と長友とのやり取りじゃないですか(笑)。彼らがいるだけでチームが引き締まりますし、雰囲気も前向きになる。代表で長くやってきた2人が何をやっているかを間近で見ることによって、中堅や若手世代は何をすべきか分かるだろうし、物凄く大きな財産になる。彼らは本当に重要な役割を担っているなと感じます」

 これは宮本恒靖会長のコメントだが、長谷部コーチが長友に対して「ギラ友」と冗談半分に語りかけたり、「もっとできるだろ」と容赦ない要求を突きつける姿を目の当たりにすれば、誰もが高い領域を目指さなければいけなくなる。

 今回の11月シリーズは長友不在だが、やはり練習時の声かけや盛り上げは物足りないものがある。鳥かごの練習でも長谷部コーチの声だけが響き渡るような状況も見られ、やはり「長友がいれば」と感じることは少なくない。そういう人材をうまく使いながらチームに力にしてきたからこそ、森保監督は7年超の長期政権を築き、100試合目を迎えることができたのである。

 カタールW杯前は森保監督に「もっと俺を使え」と歯向かうくらいの姿勢だった堂安や久保が「チームのために」という献身性を前面に押し出すようになったのも、チームの象徴的変化の1つとも言えそうだ。

「前回最終予選の頃、律は『俺1人で相手を倒してやる』くらいのマインドだった。その彼が、カタールW杯でドイツに逆転勝利した後、『相手はピッチ内の11人だけで戦ってるけど、俺らはベンチ含めて26人で勝てた』と言ったんです」

 森保監督はエピソードを明かしてくれたが、指揮官と長くやってきた面々には「目に見えない絆」のようなものが生まれている。そこは7か月後の2026年北中米W杯を戦い抜くうえでも重要なポイントになるだろう。

 こうして長い年月を積み上げた中、ボリビア戦を迎える。W杯イヤーに弾みをつけるためにも、この試合を勝ち切らないわけにはいかない。森保監督には選手起用・采配・声かけ含めて“百戦錬磨のマネージメント力”を見せつけてほしいものである。

(元川悦子 / Etsuko Motokawa)



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元川悦子

もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。

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