小3から川崎一筋も…昇格見送り「かなりショックでした」 大学経由で「絶対に帰りたい」

桐蔭横浜大学の加治佐海【写真:安藤隆人】
桐蔭横浜大学の加治佐海【写真:安藤隆人】

桐蔭横浜大学の加治佐海「誰よりもこのクラブ入りたいんだという強い思い」

 9月3日に開幕した大学サッカーの夏の全国大会である第49回総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント。全国各地域の激戦を勝ち抜いてきた32大学が、1回戦から3回戦までシードなしの中1日の一発勝負という過酷なスケジュールの中で、東北の地を熱くする激しい戦いを演じた。ここでは王者にたどり着けなかった破れし者たちのコラムを展開していく。

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 第4回は初戦で福山大学に4-2と勝利するも、続く2回戦で関西大学に1-4の敗戦を喫した関東第6代表の桐蔭横浜大学の1年生MF加治佐海について。川崎フロンターレU-18からトップに昇格できなかった現実を真摯に受け止め、自己分析の末に掴んだ意識が彼を大きく変えた。

 初めての大学の全国大会となった総理大臣杯は2試合を戦って、わずか45分間の出場に終わった。福山大戦で右サイドハーフとしてスタメン出場を果たし、得意のカットインや中央に絞ってから周りと関わりながらのボール運びで攻撃を活性化させた。だが、彼のプレーはゴールには結びつかず、チームも2点のリードを許したことで、前半での交代を告げられた。以降、彼の出番はやってこなかった。

「正直、この出来では相手にとって脅威とならない。中で仕掛ける、周りとの関わりという面ではできていたと思うのですが、そこからさらに縦に行く力、ラストパスを出す力、最低でもコーナーキックを取る力が足りなかった。フィニッシュに関わる面で相手の脅威となっていなかったので、前半で交代されたのは悔しいですが、納得しています」

 自分の実力不足。彼の口からは「あのときのシーンはこの狙いだったけど、パスがずれた」など、シーンの詳細、自分の考えの詳細がしっかりと表現される。この能力は非常にポジティブなものではあるが、その一方で自己理解と状況整理ができるが故に昨年、大きな挫折を味わうことになった。

 彼は小学校3年生で川崎のアカデミーに入り、そこから高校までフロンターレ一筋だった。当然、トップ昇格とトップでの活躍を絶対目標にしてきたが、夏の日本クラブユース選手権前に昇格の最終候補まで残りながら、昇格見送りという現実を突きつけられた。

「正直、大学進学などは一切考えていなかったので、かなりショックでした。でも、冷静に考えると、高校3年生のシーズンはプレミアリーグEASTの開幕戦と第3節の前橋育英戦で2ゴールを挙げてからは、ゴールからずっと遠ざかっていたし、アシストもほとんどなかった。結果を出せなかったのが全てだと思いました」

 プレミアEAST前期において、川崎U-18は22ゴールをマークしたが、そのうち加治佐が起点となったゴールはあったが、ゴールとアシストという面では2ゴール1アシストに留まった。1年生のときから出番を掴み、一昨年はプレミアEASTで5ゴール3アシストの活躍を見せていただけに、この結果は本人にとっても、チームにとっても不本意なものだった。

「結果が出ないことにずっと悩んでいました」

 日本クラブユース選手権でもノーゴールに終わり、プレミアEAST後期が始まってもゴールが生まれない。ショックを受け入れながら前に進もうとするが、結果が出せない現実に苛まれていた。だが、そこで彼は大事なことに気づいた。きっかけは長橋康弘監督(現・トップチームコーチ)の一言だった。リーグで連敗が続いたとき、練習中にこう言われた。

「練習は動けなくなるまでやりきれ! コンディション調整しているだけじゃダメだし、どんどん自分の限界を突破してやらないといけないぞ」

 これまでも言われたことはあったが、このときの言葉は悩める心の奥まで突き刺さった。

「ハッとしました。『だから(トップに)上がれなかったんだ』と。僕は普段の練習で自分が成長するための練習ではなく、試合にベストな状態で臨めるようなコンディション調整にウェイトを置いた練習をしてしまっていることに気づいたんです」

 リーグ戦文化が整備され、マッチ・トレーニング・マッチの環境で1年間プレーできるようになった。そのなかで彼は、毎試合いいコンディションで試合に挑めるように練習量を抑えたり、無理をしなかったりと自分で調整をしてしまっていたのだった。

 もちろんそれは悪いことではないし、自己整理と状況整理が得意な加治佐だからこそできることでもある。しかし、それによって普段の練習から自分を追い込むなど、自己鍛錬という面では大きなブレーキになってしまったのだった。自分が思っていた『ベスト』を、実は自分自身がその基準を下げてしまっていた現実に気づいたのだった。

「高校1、2年生のときは試合に出たくて、練習から質だけでなく、量にもこだわってやっていたのですが、3年生でコンスタントに試合に出られるようになって、コンディション調整を重視してしまったんです。本来はもっと自分の成長にフォーカスを当てて、限界突破するまでガムシャラにやる必要があったにもかかわらず、全て試合にフォーカスを当てて、練習量や強度を自分のなかで勝手に調整してしまっていたんです」

 この気づきが加治佐を大きく変えた。「練習で100%を出す」というよく耳にする言葉の真意を理解したことで、そこから練習に対する意識、強度が上がり、大学に入るとそれが自分の信念となっていった。

 だからこそ、1年生で大きなチャンスが巡ってきた。それ故にゴールやアシストという結果を残せなかったことが悔しかった。

「大学4年間で僕はもっと成長しないといけない。ユースからトップ昇格をして苦労している選手もいますし、逆に世界に羽ばたいていっている選手もいる。大事なのは絶対的な特徴を持っているかどうか。高井(幸大)選手はDFだけど、ビルドアップがとてつもなくうまい。大関(友翔)選手は圧倒的なパスの質を持っていて、一人で局面を打開できてしまう。じゃあ僕はというと、まだまだ中途半端なところが多い。ここで貪欲に限界突破を意識しながらやり続けることが大事だし、この悔しい経験も次に生かしていきたいと思っています」

 その目は生き生きとしていた。もちろん苦しいことの方が多いが、迷いを抱いた昨年より視界は広がっている。

「フロンターレは僕を育ててくれたクラブ。絶対に帰りたいという思いが強いですし、誰よりもこのクラブ入りたいんだという強い思いでメラメラしてやっていきたい」

 下を向かず、前を向いて。加治佐は大学での日々で、常に前の自分を超えていくことを胸に、これから待つ数々の試練に立ち向かっていく。

(安藤隆人 / Takahito Ando)

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安藤隆人

あんどう・たかひと/岐阜県出身。大学卒業後、5年半の銀行員生活を経て、フリーサッカージャーナリストに。育成年代を大学1年から全国各地に足を伸ばして取材活動をスタートし、これまで本田圭佑、岡崎慎司、香川真司、南野拓実、中村敬斗など、往年の日本代表の中心メンバーを中学、高校時代から密着取材。著書は『走り続ける才能達 彼らと僕のサッカー人生』(実業之日本社)、早川史哉の半生を描いた『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、カタールW杯のドキュメンタリー『ドーハの歓喜』(共に徳間書店)、など15作を数える。名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクターも兼任。

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