周囲は反対「若すぎる」…聞かぬ久保竜彦「結婚するんじゃ」 福岡で10回以上も下げた頭

今西和男総監督の予言「結婚すれば、タツは素晴らしいサッカー選手になれる」
久保竜彦から、特別なプロポーズはなかった。どちらからともなく「一緒に住みたいね」という話になり、そして結婚へとつながった。(取材・文=中野和也/全10回の4回目)
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サッカー選手という職業は華やかな半面、ほとんどの人は30代半ばから40歳になるまでに引退を余儀なくされる。実力を認められれば大きな報酬も望めるが、一方で思いもしない「解雇」という現実を突きつけられることもある。ハイリスク・ハイリターンの典型的な職業についていて、しかも当時の彼はまだまだ発展途上、レギュラーも確約されていない19歳。そんな当時の久保竜彦に自分の人生を託すのは、相応の勇気が必要だったのではないか。
「当時の彼がレギュラーかどうかも知らなかったんです」と佳奈子さんは言った。
「ただ、サッカー選手の選手寿命が短いのは知っていました。でも、結婚するのはこの人しかいない、と決めてたから。その人がたまたまサッカー選手だった、というだけで」
本人たちの決意は固かった。だが、周囲は反対する。「若すぎる」。それが理由だ。
「久保くんと結婚してもいいけど、まだ早いから待ちなさい」
佳奈子さんの母はそう言って、娘に自重を求めた。久保の両親も同様の反応だったが、そこは久保自身が「結婚するんじゃ」と強烈な主張をする。ただ、若い2人の熱望は、すぐに結実するわけではなかった。
そんなとき、力強い援軍が登場する。今西和男総監督(当時)である。
デビューしてすぐ、彼の才能は誰もが認めるところだった。1996年10月2日、広島スタジアム(現Balcom BMW 広島総合グランド)で行われたC大阪戦で、久保竜彦は後半31分に登場。圧倒的な高さで同点弾を決め、延長前半開始早々に強烈なボレーで勝利のゴールを叩き込んだ。
いずれも名GKジルマールが呆然としてしまうほどのスーパーゴール。久保がプロ2年目に決めた彼にとってのリーグ戦初得点だったが、Vゴールのアシストとなるクロスを入れた桑原裕義は「タツなら、なんとかしてくれる」と語っている。彼の力はそれほど、仲間たちから認められていた。
荒れていた私生活
一方で、久保の私生活は荒れていた。繁華街で飲み歩き、行きつけの寿司屋に入り浸って酔っ払い、寮に戻らずにその店の2階に寝る。「自己管理」とはほど遠い生活を続けていた彼を見かねて、寿司屋の大将が厳しく説教をしたこともあった。
荒れた生活はサッカーにも影響する。練習でも、少しうまくいかないと苛立ち、集中の切れたプレーを続ける。才能に見合ったパフォーマンスを試合で継続して出すことはできていなかった。
彼を抜擢したエディ・トムソン監督(当時)は「タツ、君は努力を続ければ偉大な選手になれる。それができなければ数年後、君はサッカー以外の仕事を探さないといけない」と彼に告げた。また、「僕は彼のファンなんだよ」と言った元オランダ代表の名ウイング、ピーター・ハウストラは「久保の才能は素晴らしいが、大切なのは努力するかどうか。大成するのかどうか、彼は今、重大な局面に来ている」と同僚となっていた若者の未来を気遣った。プロ3年目、1997年に聞いた言葉だ。
「このままでは、タツはダメになる」と心配した今西総監督は、久保が結婚を考えていることを知ると喜んだ。私生活の安定こそ、大器・久保にとって最大のサポートになるはずだと確信していたからだ。
今西総監督は反対する久保の両親と会い、「結婚すれば生活も落ち着く。そうなったら、彼はとんでもない選手になれますよ」と説得し、結婚は前に進み始めた。
一方、佳奈子さんの母に対しては、久保竜彦が頑張った。毎週のように広島から福岡にある彼女の実家を訪れ、「お願いします」と頭を下げた。その回数は10回以上も数えた。
「結婚の話が出る前から、母に会わせてはいたんです。福岡に帰ったときも、いつも母のところに寄ってくれていたし、母も『久保くん、久保くん』って言って。仲が良かったんですよ。結婚の話が出た後、彼は試合に出た後に福岡に行って、母を説得してくれたんですよ」
結婚後に結果を出すも大怪我を負った
1997年7月20日、2人は身内だけを集めて、質素な結婚式をあげる。8月6日、柏戦で新婚初ゴールを決め、8月20日のV川崎(現東京V)戦と23日の京都戦で2試合連続得点をあげてチームも連勝。結婚がいい方向に向かったか。だが、この京都戦で彼は左足首を骨折し、離脱してしまう。結果としてこの怪我によって、彼は1997年のリーグ戦を棒に振ってしまった。12月の天皇杯にようやく復帰できたほどの大怪我だった。
「主人は、凄く痛がっていました」
佳奈子さんの証言である。
「食欲もないし、痛みで夜も寝られないんです。寝れない、食べれないで、どんどんやつれていって。見ていて本当にかわいそうでした。のたうちまわるくらいでしたから」
佳奈子さんは久保の痛みを少しでも和らげてあげたいと、献身的に看護する。
「患部を冷やすために大量の氷を運ぶんです。それがとにかく重くて。でも、私がやらなきゃ、彼を助けてあげられないから」
10月、久保が怪我で苦しんでいるとき、佳奈子さんの妊娠が判明した。久保は喜び、そして愛妻を気遣った。家事を手伝い、ときには佳奈子さんのためにおでんをつくったりした。あれほど好きだった夜の街に繰り出すことも、結婚と妊娠を境にほとんどなくなったという。
1998年、久保は32試合12得点の成績を残し、日本代表監督に就任したフィリップ・トルシエにその才能を注目され、代表に招集される。年代別代表に一度も呼ばれたことのなかった22歳の若者が全国のサッカーファンの耳目を集め始めたのは、この頃からだ。そしてその成長を支えたのが、佳奈子さんという愛妻の存在であることは疑いのない事実。結婚翌年から4年連続して二桁得点を記録した実績が、その証明である。
「結婚すれば、タツは素晴らしいサッカー選手になれる」
今西和男総監督の予言は、当たったのだ。
(中野和也 / Kazuya Nakano)





















