元日本代表が告白「就活してます」 スーツで面接、PC講座…16歳デビューで「社会に出る経験なかった」

引退後のセカンドキャリアについて語る高萩洋次郎氏【写真:井上信太郎】
引退後のセカンドキャリアについて語る高萩洋次郎氏【写真:井上信太郎】

「全くボールを蹴ろうとは思わないです」

 サンフレッチェ広島やFC東京で活躍し、今年1月に現役引退を発表した元日本代表MF高萩洋次郎氏が、「FOOTBALL ZONE」のインタビューに応じた。今年1月に引退を発表して、半年が経った。サッカー以外の道に進むことも考え、一般企業に面接を受けに行ったり、パソコン講座を受講しているという。その真意を聞いた。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・井上信太郎/全11回の最終回)

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 今年1月にSNSで引退を報告してから、半年が過ぎた。16歳で当時のJリーグ最年少デビューしてから21年間、プロサッカー人生を駆け抜けた。

「もう全くいい思い出しか、楽しかったことしかなくて。サッカーを仕事と思ったことはないし、ストレスを感じたことも1回もないですし、本当充実してました。だから辞めても、全くボールを蹴ろうとは思わないですね。『ボールを蹴りたい』ってウズウズするみたいなのも本当にない。むしろもうすっきり一生分ボールを蹴った感じですね」 

 第2の人生をどこに踏み出すか。今はさまざまなことにチャレンジし、模索している。その中の一つが、解説業だ。今年2月には、古巣・サンフレッチェ広島の試合を先輩の森崎浩司さんと解説した。

「解説はすごい楽しかったですね。選手の考えていることも分かるし、ピッチ上でどう難しく思っているか、こうプレーしたほうがいいんじゃないかとか、全部分かるので面白いですね。やっぱり選手を引退して、時間が経つと、選手目線、選手感覚がだんだん薄れてくるというのを聞きますね。広島で解説した時も、浩司さんにその目線は今は無くなったわという話をしていたので、今だからこそできるのかなとも思ったりします。しゃべりはあんまり得意じゃないですけど(笑)」

 もちろん、指導者としての道も選択肢のひとつ。だが監督やコーチになると、週末は試合となり、チームの移籍に伴い“転勤”することもある。今は現役時代、迷惑をかけた家族との時間を優先している。

「これまで移籍する度に家族には迷惑もかけてきたし、時間を犠牲にしてもらっていたので。サッカー界にいると、土日もないし、家族と一緒にいられない時間も多いので。今は違うことをしてもいいのかなと思っています」

 では何をやりたいのか。ここが問題だ。「本当にやりたいことが浮かばなくて困っているんです」。今までサッカーしかやってこなかったため、サッカーの選択肢を外すと、何をしていいか分からない。そこで思い切って“就活”を始めた。

「本当に普通の就活をしています。一般企業を受けてみようと思って。紹介してもらって、この間面談も行きましたよ。ちゃんと履歴書を書いて、持って行って、スーツも着て行きました。それこそ、選手会が支援している所で、ビジネスマナーの講習も受けたりもしています。オンラインですけど、パソコン教室でワードやエクセルを学んだりしています」

 16歳で当時のJリーグ最年少デビューを飾り、高校2年生だった2003年11月にプロ契約を結んだ。38歳で現役引退をするまで、一般社会とは切り離されたところで過ごしてきた。「元日本代表」という肩書きですら、サッカー界を離れれば、効力を持たないことも痛感している。

「自分は16歳でデビューして、17歳でプロになっているので、そういう一般社会に出る経験がなかったんですよね。遅いかもしれないですけど、自分としてはこの歳になって何もできないようではまずいなと思っているので。例えば、ビジネス的な挨拶や、それこそワードやエクセルもいじったことがなかったですし。でも何も知らないので、ここからやっても別に損することはないしなって思っています」

 Jリーガーが引退する平均年齢は26歳と言われている。サッカー選手として38歳までプレーしたことは素晴らしい実績だが、別の業界で第2の人生をスタートする上では“足枷”になる。

「25歳ぐらいで引退した選手だったら、まだ若いから『じゃあここから頑張っていこう』と企業の方もなると思うんですけど、もうすぐ39歳になる人間を雇うのは気を遣うし、それは相手側の立場も分かります。でも自分だからこそできることもあると思っていますし、こういう事例があっても面白いかなと思います。サッカー選手としてもちょっと変わった経歴じゃないですか、オーストラリア行ったり、韓国行ったり(笑)。そういうのも含めて、何か面白い道が見つかればいいなと思っています」

今でも忘れられない1本のパス

 プロデビューした頃から「天才」と呼ばれた。あるいは広島時代に指導した日本代表の森保一監督のように「ファンタジスタ」と呼ぶ人もいた。結果だけでなく、常に魅了することを求められてきた。周囲の期待をどう感じていたのだろうか。

「あんまり気にしていなかったですね。自分でもたまに『うわっ、すごい』と思うようなプレーもありましたけど、それはみんなあると思うんですよね。実際、自分が頭の中で考えていたことは、シンプルなことを確実にやるということ。選択肢もたくさんあるわけじゃなくて、1個のことを決めていて、それがダメだったらキャンセルして、違う選択肢を探す、という作業の繰り返しです。だから天才というか、『いろんなところが見えてるよね』とか『視野広いよね』というよりは、一個ダメだったら次、それがダメだったら次っていう風に考えていただけなので。その判断が速いというか、シンプルだから速くしやすいのかなという感覚ですよね」

 でもそれだけでは、観ている者を驚かせる、創造性あふれるパスの説明にはならない。「うーん、あとは……」と続けた。

「動いているものが目に入りやすい気がします、自分は。それはサッカーだけじゃなくて、例えば、こういう(室内の)空間で話していても、何か風とかで動いているものが横の方であっても、そこが気になるというか、そこに気づくっていうような感覚はずっとあるんです」

 その能力が発揮された1本のパスがある。2012年6月30日にアウェーで行われたベガルタ仙台戦。1-1で迎えた後半20分、右サイドの青山敏弘からゴール中央に走り込んだ自身のもとへ、ライナー性のボールが送られた。次の瞬間、右足のインサイドでダイレクトでDFの頭上をふわりと超えるパスを供給。後ろから走り込んでくる森崎浩司のために、スピード、強さ、高さ、そしてタイミングを合わせた極上のパスだった。

「ワンタッチでバレーのトスみたいな感じでDFの後ろに落として。浩司さんが走ってくる時間とタイミングを考えていました。最後は浩司さんが左足のボレーで決めてくれたんですけど、もう全てがイメージ通りで。あれは今でも忘れられないですね」

 そう話す高萩の顔からは自然と笑みがこぼれた。今はまだその時ではないかもしれない。1本のパスで魅了してきた男が描く物語の続きをじっくり、そして楽しみに待ちたい。

(FOOTBALL ZONE編集部・井上信太郎 / Shintaro Inoue)



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