2002年日韓ワールドカップ招致に尽力した広瀬一郎氏が死去 享年61歳

スポーツコンサルタントの第一人者として、日本のスポーツ文化発展に貢献

 2002年の日韓共催ワールドカップ招致に尽力したスポーツコンサルタントの第一人者、広瀬一郎氏が2017年5月2日に亡くなったことが分かった。広瀬氏が代表取締役所長を務めるスポーツ総合研究所株式会社が、公式ホームページで発表した。享年61歳。

 広瀬氏は東京大学法学部を卒業後、1980年に大手広告代理店の電通に入社。1984年から94年までワールドカップなどのイベントをプロデュース。そして、2002年FIFAワールドカップ日本招致委員会の事務局に出向し、大会招致に尽力した。

 2000年に電通を退社し、その年スポーツ・ナビゲーション社設立。2002年に退社し、経済産業研究所の上席研究員、2004年にスポーツ総合研究所を設立するなど、スポーツマーケティング、コンサルティングの第一人者として活躍。スポーツマンシップの普及にも尽力するなど、日本のスポーツ文化の発展に大きく貢献した。

 通夜及び葬儀告別式は、家族葬にて執り行われる予定と発表されている。

【了】

フットボールゾーンウェブ編集部●文 text by Football ZONE web

ゲッティイメージズ●写真 photo by Getty Images

 

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