長友の結婚式で前菜を担当「嘘だと」 調理師→W杯出場の異色キャリア…背中を押した「辞めてもいいぞ」

フットサル日本女子代表の松本直美が競技復帰した理由
日本の歴史が動いた。須賀雄大監督率いるフットサル日本女子代表が11月に初めてフィリピンで開催されるワールドカップ(W杯)出場を決めた。5月に行われたアジアカップで初優勝。世界のトップへの挑戦権を掴んだ。「FOOTBALL ZONE」では女子フットサル界の大きな1歩を踏み出すべく、日々汗を流している同代表の松本直美(バルドラール浦安ラス・ボニータス)を独占取材。インタビューの第1回は日本の“ヒロイン”候補がなぜフットサルに夢中になったのか。調理師免許取得、一流ホテル就職から転身を遂げた異色のキャリアについて――。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小杉舞/全4回の1回目)
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サッカーと料理。直美が生まれた松本家の笑顔の中心にはいつもこの2つがあった。6歳上でサッカーをしていた兄、料理人の父、料理好きの母……。直美がごく自然にボールを蹴り始めたのは、幼稚園の年中の頃だった。
「小さい頃、母に連れられて兄の試合を見に行っていました。幼稚園にサッカー教室があったので『入りたい!』と母に言って、そこからサッカーを始めました。小学6年生までは男子チームに女の子1人みたいな感じ。昔からディフェンスが好きだったんですよね。女の子だからパスをもらえない時もあって、相手からボールを奪わないとボールに触れなかった。母から『絶対に相手がボールを持っている時に取りに行きなさい』と言われていて、積極的に奪いに行くプレースタイルだったのかなと思います」
得意なプレーは身体を張った守備。現在でも、その細身な身体からは想像もできないほどの“肉弾戦”でボールを奪い取り、攻撃へとつなげていくのが持ち味だ。日本を初のW杯へと導いたプレースタイルの礎は、幼少時代に築き上げられていた。
サッカーをして家に帰ると食卓には常に美味しい料理が広がっていた。特に松本家の恒例だった“お寿司パーティー”では、父が新鮮な魚を捌いて握ってくれた。そんな背中を見て育った。「母も料理好きで、手伝ったりしていました。私も小さい頃から料理が好きでした」。ピッチ上での“ファイター”は中学へ進学後、ジェフユナイテッド市原・千葉レディースの下部組織へ入団。サッカーに邁進する生活を送った。サイドバックとして高校3年生までの6年間、厳しい環境に身を置き、自らを鍛え抜いた。
「ジェフ時代は怒られてばっかりでしたね(笑)。怒られた印象しかないんですけど、高校3年生の最後の大会が全国大会で、優勝はできなかったんですけど、やり切ったという感覚になれて、そこでサッカーを辞めました。私の中では大きなターニングポイントで、後悔なく辞められたのは良かったと思っています」
高校卒業とともに未練もなくサッカーを辞めた。そして、進んだのが料理の道だった。
「高校卒業して大学に行っても勉強しないのかなと自分でも分かっていたし、親にも言われていたので、調理師免許を取りに専門学校へ進みました。そこからボールを蹴ることもないだろうな、と思っていました」
専門学校を卒業すると、東京都内にある一流ホテルに就職。フランス料理を専攻していたため、宴会場の料理を手掛けるなど、日々、調理場で奮闘した。
そんなある日、衝撃的な出来事が起きた。
「たまたま私が働いている時に長友佑都選手と平愛梨さんの結婚式があったんです。その結婚式の料理を作らせてもらいました。私は前菜の担当で、テリーヌを作った記憶があります。(長友選手の結婚式があると)シェフから言われても、最初は嘘だと……。私はサイドバックだったので、長友選手にすごく憧れていて、奇跡のような瞬間でした」
当然、ゲストには多くのサッカー関係者もいた。憧れの人の結婚式で、自分が作った料理をそんな人たちに食べてもらえる。痺れるような体験をすると同時に、不思議なサッカーとの縁も感じた。
すると、松本を再び競技に導くキッカケが訪れる。料理に打ち込んでいたある日、知人にフットサルに誘われ、再びボールを蹴る機会が巡ってきた。それもまた奇跡の出会いだった。
「ホテルで働きながら、行ける時にチームに行ってボールを蹴っていたらすごく楽しいと思い始めて……。でも、フットサルは今しかできない。できる時にやろうと思ったんです」
ホテルで働き始めて1年ほどが経った頃だった。上司でもある「めちゃくちゃ怖い」シェフに相談した。怯えながらも意志を伝えた。「辞めたいです」――。引き止められ、怒られると思っていたが、返ってきたのは意外な言葉だった。「日本代表になるなら辞めてもいいぞ」。力強く背中を押された。人生をフットサルに捧げる決意を固めた瞬間だった。
料理の世界からフットサルへと舞台を移した。十条FCレディースに入団し、本格的に競技に復帰。着実にステップアップを重ねて、さいたまSAICOLOを経て、2021年から日本リーグの強豪・浦安へ。さらに、日本代表へと上り詰めた。
「いろんなフットサルを学びたいと思って浦安に移籍を決めて。代表にも選ばれて、日本代表の自覚や責任を持ちながらプレーすることも自分にとってはいい意味でプレッシャー。そこはすごく移籍して良かった部分だと思います。ただ(背中を押してくれた)シェフはホテルを辞めちゃったみたいで連絡先も知らなくて直接伝えられていないので、このインタビューを通じて感謝を伝えたいです」
調理師から異色の“転職”で、世界への挑戦権まで得た松本。自らの運命を突き動かしてきた奇跡と決断。女子フットサルの世界に飛び込んだ松本は、仲間たちと厳しいアジアでの戦いに挑むのだった。(第2回に続く)