トライアウトで脊髄損傷…上半身麻痺で「生活をどうしよう」 絶望のなか気づいた原点

栃木シティの相澤ピーターコアミ【写真:徳原隆元】
栃木シティの相澤ピーターコアミ【写真:徳原隆元】

相澤ピーターコアミ「これで復帰して活躍したら、俺、すごいんじゃないか?」

 高校時代にFWからGKに転向した栃木シティGK相澤ピーターコアミは、瞬く間に県選抜やU-18日本代表にも選出されていった。高校2年時の第96回全国高校サッカー選手権での活躍もあり、2019年にはJ2のジェフユナイテッド市原・千葉に加入してプロサッカー選手となった。(取材・文=河合 拓/3回目)

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 アンダー世代の日本代表候補として注目されていた相澤だったが、千葉では全く出場機会を得られずに大きな壁に直面した。2019年の千葉のGK陣は鈴木椋大、佐藤優也、大野哲煥が在籍しており、「圧倒的な第4GKでした」と序列の最下位にいたことを自覚する。

「年代別の日本代表にも行っていたんですが、差が大きすぎましたね。それまで感覚だけでやっていたものが、全く通用しなくてギャップを感じていました。『あ、今のままだったら絶対にできないな』と、プロ1年目で感じ取りました」

 そこにはプロの選手たちの技術のうまさがあったという。「プロはGKを見ているんですよね。高校生はコースに対して、コースにしっかり打ち込むみたいな感覚なんですけど、プロになるとGKを見て、コースを見て、ゴールに一番近い道筋に蹴るんです。高校のときは感覚でやって、シュートコースに行けば止められていたのですが、そんな単純に止められるものじゃないなっていうことを感じました」。

 自分のプレーが通用しない。相澤は同じGKの先輩たちにもアドバイスをもらい「とりあえず読むな」と言われたという。そこでギリギリまでシュートを待ち、反応するようにしたが「そうすると、僕の身体能力ではスピードが追い付かないんです」と次の課題に直面した。

 そこからフィジカルを上げようとしたものの負傷が許さなかった。手術も行うほどの膝の負傷にも見舞われ、「筋力が戻らない状況になったので、まずはスタンダードな状態に戻さないといけませんでした。フィジカルを理学療法士の人とやったり、リハビリを1年以上していた時期もあったので、苦しかったですね」と口にする。

 実はこの負傷、高校年代のときからのものを完治させなかったことが要因だった。高校2年の高校選手権で大活躍をして目にとまった相澤だったが、高校3年の選手権には出場していない。チームが新潟県予選で敗退したこともあるのだが、そもそも相澤は負傷をしていてピッチに立てなかったのだ。

「そのときの怪我を引きずったままプロになったんです。3月くらいに復帰して、8月くらいに代表にも呼ばれて、そのあとに怪我をして。そこから1年3か月くらいリハビリをしていたんです」

千葉では一度も出場機会がなかった

 プロのサッカー選手として、監督やコーチの選択肢になれていないことを相澤も感じていた。「まず『サッカーできるの、おまえ?』みたいな感覚だったと思います」。結局、出場機会を一度も得ることはないまま、千葉でのキャリアは3年で終了する。プレーしていないGKに、他クラブからオファーがかかるはずもなく、相澤はトライアウトを受けたが、ここでも悲運に見舞われた。トライアウト中に相手選手と接触して救急車で運び出されることとなる。

「ミドルシュートが飛んできて、それを弾いたんです。こぼれ球を拾いに行ったら、たぶん、味方選手だったと思うんですけど、味方の膝が僕の鼻下に当たって、そのまま首が持っていかれてしまったんです」

 新天地を求めるためにトライアウトに臨んでいた相澤だが、開始直後のこのプレーで、アピールはできず。中心性脊髄損傷と診断された。

「怪我をして、最初は上半身が麻痺していて、体が動かない状態でした。日常生活もできなくなるかもしれないなか、絶望していましたね。『サッカーも引退しないといけないか。上半身が動かないんだから、当たり前だよな』って。そこから、そもそもサッカーをすることよりも、生活をどうしようって思うようになっていったんです。サッカーのことが頭から消えていって、少し経ったときに麻痺が取れてきたんです。そのときに『いや、治るよ』『競技復帰できるよ』と医者に言われて、めっちゃ嬉しかったんですよ。それで『ああ、やっぱりオレはサッカーがやりたいんだな』って強く思ったんです」

 物事を単純に考えがちな相澤は、「これで復帰して活躍したら、俺、すごいんじゃないか?」と一気に前向きになった。中心性脊髄損傷は後遺症が残る可能性もあるが、相澤は無事だったため、代理人に獲得してくれるクラブがないか、移籍市場が開いている間はアプローチを続けてもらい、自身もコンディションを上げることに専念した。

 なかなかオファーが届かず、夏に移籍市場が再び開くまで、どこかで体を動かせる場所を見つけなければいけないなと思っていたタイミングで、JFLのラインメール青森からオファーが届く。カテゴリーを下げれば、出場機会を得られるのではないか。そんな淡い期待は、大きく裏切られることとなる。

(河合 拓 / Taku Kawai)



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