先輩へ涙の相談「海外行きたい」 日本代表DF欧州移籍→定着の舞台裏「日本でやっていたらダメだと」

日本代表の町田浩樹【写真:徳原隆元】
日本代表の町田浩樹【写真:徳原隆元】

町田がユニオン移籍までの道のり、110年ぶりタイトル獲得を回顧

 日本代表DF町田浩樹は、2026年北中米ワールドカップ(W杯)最終予選を戦う森保ジャパンのなかで3バックの一角としてプレーして攻守に存在感を発揮している。昨シーズン、所属するベルギー1部ユニオン・サン=ジロワーズはリーグ戦こそ2位に終わったが、町田はベルギー杯決勝で決勝点を挙げて110年ぶり3度目の優勝に導く活躍を見せた。当時のエピソードを、スポーツチャンネル「DAZN」の「内田篤人のFootball Time」で明かしている。

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 小学校4年生の時から鹿島アントラーズの下部組織で育った町田は、海外志向が強かったという。2018年には元日本代表DF内田篤人氏がドイツ1部シャルケから鹿島に復帰し、約2年半にわたってチームメイトとしてプレーしたが、当時も内田氏に対して相談していたという。

 番組のホストを務める内田氏は、当時のことを振り返り「海外に行きたいというか、興味があるというのは、コソコソ相談しに来ていたよね? 『篤人さん、僕海外に行きたいんですけどどうすればいいんですかね?』っていうべらぼうな質問をしてきたよね。その時、泣いていなかったっけ?」と確認すると、町田は笑いながら「それは多分、相談した時ですね」と認め「このまま日本にいてもダメかもしれないですという話をクラブハウスの外のベンチで話して『移籍は運とかタイミングもあるからと言われた。今は日本で頑張るときじゃないか』と言われた気がします」と、その時のやり取りを振り返った。

 内田氏の言葉通り、鹿島でレギュラーとなった町田は2021シーズンまでにJ1通算87試合に出場し5得点を記録。2021-22シーズンにベルギーのユニオンSGへ移籍した。海外には「ずっと行きたいなと思っていた」という町田だが、「一番強く思ったのは東京五輪のあと。世界のレベルに圧倒されたというか。オリンピックには5分しか出ていないのですが、オリンピック前のスペインとの強化試合でチンチンにされたんです。『これはもう日本でやっていたらダメだ』と思って、そこからチームにも海外に行かせてもらえないかと話をした」と、東京五輪前に行ったスペイン戦(1-1)で感じたことが大きかったと語った。

 2022年1月の移籍市場でユニオンSGへの移籍を決めた理由については、「ベルギー国内でオファーがいくつかあったのですが、オファーをもらった時にユニオンが首位だったので、CL(UEFAチャンピオンズリーグ)、EL(UEFAヨーロッパリーグ)に出られる可能性があるからユニオンに行こうと思いました」と、その理由を説明した。

 鹿島では4バックだったが、ユニオンSGでは3バックでプレーすることになった町田だが、「そこが一番の違い。けれども、僕自身は3バックの方がやりやすい。自分の特徴が生きる気はしていた。だからそれはすごく良かったと思う。3枚の方がやることがハッキリしているし、(ウイングバックが)引いたら5枚になるので守備範囲も4バックよりは狭い。攻撃も立ち位置である程度アングルができるから、攻撃もしやすい」と、海外で初挑戦となった3バックでも持ち味を出せると感じていたという。

 そして、ユニオンSGに加入して3年目となる昨シーズンはレギュラーに定着。ベルギー杯決勝では決勝ゴールを挙げて、クラブを1913-14シーズン以来110年ぶりの優勝に導いた。この時の様子について内田氏に「盛り上がった?」と聞かれると、町田は「いや、もうすごかったですよ」と言い「本当に俺の銅像が立つんじゃないかなって思うくらい(笑)。本当にあれはかけがえのない記憶ですね」と言うと、内田氏は「ジーコに並ぶんかい! すごいな」と、鹿島スタジアムの横に銅像の立つブラジル代表の英雄の名前を出してツッコミを入れていた。

(FOOTBALL ZONE編集部)



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