清武弘嗣はなぜ鳥栖行き決断? “正直人間”が5月に吐露していた「本音」【コラム】
清武弘嗣は10年在籍したC大阪を離れ鳥栖へ期限付き移籍を決断
「セレッソを愛するファン・サポーターのみなさん。約10年間、僕を応援してくれて本当にありがとうございました。今回の移籍は本当に悩みました。クラブ設立30周年の中、優勝という目標を掲げてスタートし、何も残せなかった自分に情けなさと悔しさが残ります。しかし、まだまだ自分はプレーできると、そしてみなさんにもう一度認めてもらえるように頑張ってきます」
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7月6日にセレッソ大阪から配信された「清武弘嗣、サガン鳥栖へ期限付き移籍」というリリースには、清武本人の複雑な胸中が記されていた。
ただ、この決断が突然だったわけではない。5月15日のFC町田ゼルビア戦後に久しぶりに彼と話し、「今の立ち位置はどう?」と聞くと、「もう一番低いっすよ」と悔しさと不完全燃焼感をにじませていたからだ。
「今日はベンチに入っていましたけど、(ヴィトール・)ブエノが先に出ましたし、僕は終盤に出る形。そう考えたら、今はすごく厳しい立ち位置にはいるんだと思います。でも今はここにいるので、精一杯やるだけですし、それからのことは自分の人生なんで、ゆっくり考えたいなと思っています。もちろん試合に出たい気持ちは強いですし、自分も先は長くないと思うので、ボチボチといろいろ考えながらやっていきます」
清武は正直かつストレートな人間で、考えていることが言葉や感情に出やすいタイプ。この時も「現状が続くとセレッソにはいられない。新天地を探すしかない」といった危機感を募らせているように見受けられた。
本人は2017年1月に高額な移籍金を支払ってセビージャから買い戻してくれて、その後3年間、怪我で苦しんだ自分を温かく見守ってくれたセレッソに深い感謝があったはず。山口蛍(ヴィッセル神戸)や柿谷曜一朗(徳島ヴォルティス)、丸橋祐介(サガン鳥栖)ら同世代のセレッソ生え抜き選手たちが次々と出ていくなか「自分がこのチームを支えなければいけない」という強い決意を胸に秘め、自己研鑽に励んでいたに違いない。
J1リーグ33試合出場8ゴールという数字を残した2020年は「まだまだやれる」という手応えを掴んだだろうし、その後もキャプテンとしてチームを牽引し続けてきた。だからこそ、クラブ創設30周年の今年は「自分が中心となって結果を残すしかない」と覚悟を持っていただろう。
その重要なシーズン序盤に怪我で出遅れ、戻ってきた時には序列がある程度、決まっていた。そうなるとほとんど出番を得られない状況が続く。小菊昭雄監督が強度やハードワークを追求すればするほど、清武の必要性が乏しくなっていくこともまさに皮肉。彼は失望感と焦燥感でいっぱいだったのではないか。
「このままだと早ければ夏、遅くとも冬には出ていくのではないか」と筆者はうすうす感じていた。そこで清武の今後の身の振り方を考えてみると、地元・大分をこよなく愛する男だけに、自身が育った大分トリニータに戻って、高度な経験を還元する道が順当だろうと思われた。
だが、非凡なテクニックと創造性、卓越した戦術眼は衰えたわけはない。クオリティーの高さはまだまだJ1で十分に通用する。J2に行くのはまだ早すぎると本人も考えただろう。
そんな時に鳥栖からオファーが来たら、ノーという選択肢はない。鳥栖は主軸ボランチ・河原創がサンフレッチェ広島に引き抜かれるという噂が出ており、空いたポジションに清武を据えればピッタリ来るのだ。
川井健太監督はボールを大事にしながら組織的に組み立てていくスタイルを志向しており、そのサッカー観も清武と通じるところが多い。セレッソで共闘した丸橋、中原輝らもいて新たな環境に馴染みやすいだろうし、伸び盛りの若手である横山歩夢らにとっての最高の模範になれる。
しかも、故郷・大分にも近く、九州で一花咲かせることもできる。ここでJ1残留請負人になれれば、間もなく35歳になる清武にとっても「サッカーキャリアをある程度、やり切った」と思えるだろう。
ドイツ時代の先輩、長谷部や岡崎が引退…キャリアを見つめる契機になったか
セビージャからセレッソに戻ってからの7年半は怪我が多く、彼自身としても「自分の力を出せた」と思えない時期が非常に長かった。2014年ブラジルワールドカップ(W杯)で掲げた「長谷部(誠=フランクフルトU-21コーチ)さんがつけたキャプテンマークを巻いて、次の2018年ロシアW杯に出たい」という目標も志半ばで終わっている。
こうして数々の挫折を経て、ここまできた以上、「もう選手生活も長くないのだから、納得できる領域まで走り切りたい」という切なる思いを抱いて当然だ。長谷部、岡崎慎司(バサラ・マインツ)といったドイツ時代の先輩たちが次々と引退したタイミングというのも、そういった思いを強める契機だったのかもしれない。セレッソ側もその思いを汲んで、シーズン途中に送り出してくれた。清武はそういった人々に報いるべく、ここからのシーズン半分を大事にしなければならないのだ。
正式発表の少し前に清武から連絡を受けたという大分時代の先輩・西川周作(浦和レッズ)は「キヨくんには本当に頑張ってほしい」とエールを送っていた。その思いを本人もしっかりと受け止め、新天地に赴くだろう。7月8日には今季の第2登録ウインドーが開くため、早ければ14日のガンバ大阪戦がデビュー戦になりそうだ。その後、サンフレッチェ広島、鹿島アントラーズ、浦和レッズと難敵が続くが、清武にはまず怪我をせず、コンスタントにピッチに立てる状態を維持することからスタートしてほしい。
持っている能力は間違いないのだから、あとは夏場にしっかりと走り抜くことができるフィジカル面を整えることが最優先。未知なるクラブでこれまでとはひと味違った清武弘嗣が見られるのを、心から楽しみに待ちたいものである。
元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。