本田圭佑が抱く“ライバル”家長昭博への「畏敬の念」 6027日ぶりマッチアップに見られた長年の絆「実は仲がいい」【コラム】

本田圭佑と家長昭博がマッチアップ【写真:Getty Images】
本田圭佑と家長昭博がマッチアップ【写真:Getty Images】

直接FKのシーンでは本田が橋本氏を“却下”「ハシくんが蹴らなあかん」

 すべては1本の電話から始まった。

 自身の引退試合が近づいていたある日。橋本英郎氏はガンバ大阪ジュニアユースの後輩で、日本代表でも同じ時間を過ごした旧知の本田圭佑との間に、偶然にも共通の知人がいると知った。

 しかも本田は現在帰国中で、その知人はつい最近、本田と食事の席を持ったという。引退試合に本田も出場してほしいと考えながら、最新の連絡先を知らなかった橋本さんは、本田へ連絡を入れてほしいと知人に頼んだ。

 直後に想定外の、なおかつ嬉しい事態が訪れたと、本田に感謝しながら橋本氏が明かす。

「(知人の)ちょっと聞いてみる、という流れからすぐに連絡してきてくれました。圭佑本人が『時間がちょっとかかるかもしれないけど、可能性を探ります』と言ってくれたなかで、時間を作って来てくれました」

 本田の参加がガンバから発表されたのは引退試合3日前の13日。本田もすぐに自身の公式X(旧ツイッター)を更新し、自身の参加を告知するガンバのリリースを引用しながらこんな言葉を投稿している。

「久しぶりの大阪! そういえば引退試合に参加するのは初めてです」

 橋本氏の引退試合は、ガンバが初めてJ1リーグで優勝した2005シーズンに在籍した選手を中心とする「ガンバ大阪’05」と、日本代表で共闘した仲間を中心とする「日本代表フレンズ」が対戦。ともに元日本代表監督の西野朗氏が前者を、岡田武史氏が後者を指揮するなかで、橋本氏は前後半をそれぞれのチームでプレーした。

 前半は「日本代表フレンズ」のダブルボランチを稲本潤一と形成し、得意とする右ウイングで先発した本田と共闘する。キックオフ前には真剣勝負さながらの話し合いを本田との間で持ったという。

「ポジションやフォーメーションの話だけでなく、試合中はどうするとか、いろいろと話しました」

 こう振り返った橋本氏が、直接フリーキック(FK)を獲得した際の決め事で「僕が(ボールの近くに)立っておとり役をするから」と提案すると、即座に却下されたという。そのときの本田の言葉を再現するとこうなる。

「いや、蹴ってよ。これハシくん(橋本)が蹴らなあかんやろ」

 打ち合わせ通りの場面が訪れたのは36分だった。ペナルティーエリアの右後方、ゴールまで約18mの地点で橋本氏がファウルを獲得し、ボールの後方に本田と橋本氏が立った。左利きの選手が最も得意とする角度。本田への期待が高まったなかで直接FKを放ち、相手GKに惜しくも防がれたのは橋本氏だった。

 前半アディショナルタイムには、橋本氏のアシストから本田のゴールが生まれている。ペナルティーエリアの右角あたりでボールを持った本田が、右斜め前方へ開いた橋本氏へパス。すかさずペナルティーエリア内へ進入し、橋本氏の折り返しをスライディングしながら左足で押し込んだ。

「初めての引退試合でしたけど、そのなかでどうやって点を取ろうかを考えていたので。ハシくんがボールを持ったときは、ハシくんもアシストを狙っているかなと思ったので、まあタイミングよく、ですね」

 ゴールシーンをこう振り返った本田は、自身の近況や今後ついても言及した。リトアニア1部リーグのスドゥバを退団した2021年末以降は無所属が続く本田は、昨年10月には左膝の手術も受けていた。

本田と家長のマッチアップ…運命の“ライバル”は「実は仲がいい」

「これぐらいの人数のなかでやるのは(スドゥバを退団してからは)初めてかもしれないですね。やっぱり最近はボールを蹴る回数は減っているけど、トレーニングの量はあまり減らしてはいない。復帰を来年のどこかで目指すにあたっては、サッカーボールに触れる量もちょっとどっかで増やしていかないといけないかな、と思っている。そこをどのへんから調整していくか。来年の冬明けてからどのタイミングで、どこの国のどこのクラブで、というのを、いくつか候補を自分のなかでは的を絞っているつもりではあるので」

 本田の得点シーンをあらためて振り返ると、橋本氏にパスを出す直前に家長昭博とマッチアップしている。川崎フロンターレで7年目のシーズンを、先の天皇杯優勝とともに終えたばかりの家長の参加もまた、本田と同じ13日に同じリリース内で発表されていた。もっとも、表記の方法に対して本田が首をひねっている。

 ガンバのリリースは「家長昭博選手」と「本田圭佑氏」と記されていた。現役引退こそ表明していないものの、無所属状態が2年近く続いているなかで、ガンバ側としても本田の表現に苦慮したのかもしれない。これを橋本氏が自身のXへポストすると、本田は考え込む絵文字を文末につけたうえでこう反応している。

「アキが選手で僕は氏」

 本田が親しみを込めて「アキ」と呼ぶ家長は、くしくも同じ1986年6月13日に生まれ、同じ左利きの攻撃的MFとしてガンバ大阪ジュニアユースで切磋琢磨。高い評価を受けた家長がユースへ昇格した一方で、ユースからプロへとつながる道を閉ざされた本田は石川県の強豪、星稜高校へ進学して捲土重来を期した。

 こうした経緯が因縁として伝えられた2人だが、橋本氏は「実は彼らは仲がいいんですよ」と笑う。思い出されるのはオシムジャパン時代の代表合宿。橋本氏を含めた3人がそろって招集されたときだ。おそらくは家長が日本代表デビューを果たした、2007年3月のペルー代表戦の前あたりだったはずだ。

「僕とアキが2人部屋だったんですけど、そのときに圭佑は僕らの部屋によく来て、かなり長い時間、3人でしゃべっていたんですよ。移動するバスのなかでも近くに一緒に座って、よく話をしていましたね」

 川崎が連覇を達成した2018シーズン。家長が最優秀選手賞(MVP)を受賞したJリーグアウォーズで、ビデオメッセージを介して祝福メッセージを届けたのが、当時メルボルン・ビクトリー(オーストラリア)に所属していた本田だった。会場を騒然とさせたサプライズの言葉は、家長との絆の深さを感じさせた。

「全然連絡してこないので、たまには連絡ください。サッカーに集中して、家族のために頑張っているのはわかりますけど、たまには古い友人にも連絡をよこして会いに来てください。また昔話でもしましょう」

 家長もまた、ライバルと書いて「親友」と読む本田へ抱く思いをこう語っていた。

「中学時代はいつも一緒にいて、たまたま生年月日も一緒で。本当に運命を感じる選手だと思います」

本田と家長が同じピッチで“共演” 「相変わらずいつも通り」

 本田が日本国内でプレーするのは、メルボルン・ビクトリーの一員として来日し、サンフレッチェ広島とAFCチャンピオンズリーグ(ACL)のグループステージを戦った2019年3月以来だった。

 家長と同じピッチに立つのはザックジャパン時代の2011年8月、札幌ドームで行われた韓国代表戦で17分間共演して以来。敵味方で対峙したのは名古屋グランパスエイト所属だった本田が先発し、ガンバの家長が後半から出場した2007年6月16日のJ1リーグ第15節(万博記念競技場)以来、実に6027日ぶりだった。

 引退試合を終えた本田に、家長と久しぶりに再会し、マッチアップした胸中を聞いてみた。

「アキとはしょっちゅうというか、何かことあるごとに定期的に会っている記憶がありますからね」

 こう切り出した本田は直後に、苦笑しながら前言を撤回した。

「ああ、会っていないかもしれないですね。僕が会っている気になっているだけかもしれないです。(最後に)いつ会ったのかは覚えていないですけど。(ピッチ上では)相変わらずいつも通りだな、という感じでしたね」

 伝わってきたのは家長へ抱き続ける畏敬の念。ガンバや代表の絆を介して、本田と家長をパナソニックスタジアム吹田のピッチ上で引き合わせた形になった橋本氏は、本田への感謝の思いを込めながらこう語っている。

「試合後は早く帰らないといけない、という話も聞いていたなかで、(試合後の)最後のセレモニーまでいてくれたところにもちょっとびっくりしました。セレモニーが終わった後も『ちょっと出ないといけない』と言いながら、僕にちゃんとひと言かけてくれるような、本当に律儀な人間だと思いました」

 所用があった本田は前半限りで交代し、ユニフォームをジャケット姿に変えて、時間ぎりぎりまで橋本さんのセレモニーを見守った。直接FKをめぐるやり取りを含めて、急きょ駆けつけた引退試合でダンディーぶりを見せた本田は、来年は「氏」を「選手」に変える誓いを立てながら慌ただしくスタジアムを後にしていった。

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藤江直人

ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。

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