「僕は拾ってもらった選手」 MF原輝綺が吐露…葛藤のサッカー人生と原動力「ここで辞めたらもったいないなって」【現地発】
【インタビュー】怪我と向き合い続けてきた日々「すごく歯がゆさがある」
2022年12月に清水エスパルスからスイス1部グラスホッパーへ期限付き移籍したMF原輝綺は、加入後に負傷するも徐々に出番を増やし、最終的にリーグ戦12試合に出場した。「今までも大事なところで怪我をしてきたサッカー人生」と語る原の根底には、「僕は拾ってもらった選手」という思いがある。さまざまな葛藤のなかでプレーする24歳の原動力に迫る。(取材・文=中野吉之伴/全3回の3回目)
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怪我は選手にとって天敵だ。どれだけ優れた才能を持った選手でも、怪我を前にしたら何もできない。39歳ながらドイツ1部フランクフルトで現役プロ選手としてプレーし続けている元日本代表キャプテンの長谷部誠も、「怪我をしないこと。長期離脱しないことがいい選手の条件」と話していたことがある。
「怪我と上手く付き合いながらやっていくことが大事」と言われたりもするし、そもそも怪我をしないに越したことはない。それは誰もが分かっている。誰だって怪我をしたくはないし、しないためのケアもしている。
それでも怪我を100%阻止することはできない。今季スイス1部グラスホッパーでプレーした原も、まさにその怪我との苦しい戦いに向き合い続けてきた。
「グラスホッパーに加入して、すぐした肩の怪我もそうなんですけど、今までも大事なところで怪我をしてきたサッカー人生なんですよね。(コロナで)流れた五輪前とか、実際開催された五輪前とか大事な時期に怪我をしてしまった。もちろん技術は前提にありつつ、やっぱそういうのはすごい大事なんだなと思います」
ザンクトパウリ時代の宮市亮(横浜F・マリノス)が「大怪我をして復帰したあと、自分の調子がいい時こそ、少しブレーキをかけるじゃないけど、気持ちを抑えておかないと、また次の大きな怪我につながってしまうから気を付けています」という話をしてくれたことがある。
「本当にそのとおり。自分の調子上がってきて、心が高ぶると絶対怪我をするんで、自分の場合は。もちろん、上手くコントロールしよう、コントロールしようとはやってますけど、抑えすぎると気持ち的にも上手く入っていけなかったり。かといって自分の身体の調子が良くて、フィーリングも良くて、もっとやれるのに抑えないといけないっていうのはすごく歯がゆさがあって。もうこの3年半ぐらいずっと、そういう状況になっちゃってるんですよね」
度重なる負傷で折れかけた心「我慢しながらやればパフォーマンスは落ちるし…」
原が振り返ったのは五輪前の怪我だ。2019年11月17日に広島で行われたU-22日本代表とU-22コロンビア代表との親善試合で、原は後半17分から左サイドバック(SB)として途中出場すると、チームにいい流れをもたらす好パフォーマンスを披露した。試合は0-2と敗れたが、手応えを感じる試合となるはずだった。
「久々の代表だったし、途中出場だったんですけど身体の調子が良くて。このままなんとか行きたいっていう流れだったんですけど、Jリーグの名古屋(グランパス)戦で骨折してしまって。五輪がコロナで流れたあとのタイミングでもそうでしたね。久々にまた代表に選んでもらえて、アルゼンチン代表とやって調子が良くて、このままだったら五輪に間に合うかもしれないというなかで、ブレーキがかからずにまた外傷で離脱することになってしまった(注:右足靱帯損傷で全治8週間)。こっちに来てからも、スライディングしなくてもいい状況なのに、やっぱり身体が動いてしまったりする。そういった点で気持ちのコントロールが一番の課題かもしれないですね」
怪我を理由に大舞台を断念しなければならない状況が続いたら、気持ちが折れてしまうこともあるだろう。自暴自棄になったり、気持ちの整理がつかないことだってある。本人はそんな現実とどのように向き合っているのだろうか。
「心は何回も折れかけてますけどね。こっちに来てからだけじゃなくて、日本にいる時から調子が良くて、ハイパフォーマンスを出せる時に怪我をするんですから。筋肉系だったり、膝もいつから痛くなったのか覚えてないんですけど、やっぱり痛みが出てくるんですよ。そうなるとパフォーマンスも落ちる。セーブしてやればアベレージぐらいのものは出せるけど、少しでもそれ以上出そうとすると、すぐ痛くなってしまうんです。我慢しながらやればパフォーマンスは落ちるし、かばいながらやるとほかの場所を負傷することもあるし」
原を走らせる原動力「辞めたいなと思うこともあるけど…」
聞いているだけで辛くなる。イメージしているプレーがあり、それを表現できるだけのものを持ち合わせているにもかかわらず、身体が付いてきてくれない。歯がゆさとやるせなさともどかしさ。原は葛藤しながらもサッカーを続け、自分を解放させられる場所をピッチに求めて、チャレンジを繰り返している。苦しさを乗り越えて戦おうとする原の原動力とはなんなのだろうか。
「原動力は……もう何回も心が折れかけてでもやってるのはあれかな。僕は高校時代にプロにはなりたかったんですけど、正直(プロに)なれるような実力があったのかは分からないんです。プロになれたのも、ほかの有望選手を見に来たスカウトの人にたまたま見出してもらって、拾ってもらった選手なんで。だから辞めたいなと思うこともあるし、本当、結構綱渡りですけど、ここで折れて辞めちゃったらもったいないなって」
苦難を乗り越えた人間は強い。そして優しい。きっと一回りも二回りも成熟した人間となるはずだ。何よりまた思いっきりサッカーができる時間が訪れてほしい。ピッチを思うままに躍動する原のプレーをファンは見たいのだ。
「そうですね。そのために肉体改造もしてるし、行きつけの先生のところにもなるだけ顔を出して、相談に乗ってもらったりしています。この先に期待して、これからも頑張るしかないです」
[プロフィール]
原輝綺(はら・てるき)/1998年7月30日生まれ、埼玉県出身。AZ’86東京青梅―市立船橋高校―アルビレックス新潟―サガン鳥栖―清水エスパルス―グラスホッパー。2017年に新潟へ加入し、ルーキーイヤーはJ1リーグ戦18試合1ゴール。19年から鳥栖、21年から清水でプレーし、22年12月にグラスホッパーへ期限付き移籍。加入後に負傷して戦線から一時離脱するも、左右のSBに対応して徐々に出場機会が増加し、最終的にリーグ戦12試合に出場。シーズン後、グラスホッパーからの退団が発表された。19年5月に日本代表に初選出され、同年6月に開催されたコパ・アメリカのチリ戦でA代表デビューを飾った。
(中野吉之伴 / Kichinosuke Nakano)
中野吉之伴
なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)所得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなサッカークラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国への現地取材を精力的に行っている。著書『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。