内田篤人、日本人SBの傑作が欧州で放った輝き 群を抜く経験値…“全権監督”誕生に期待

欧州最高峰のCLで輝きを放ったシャルケ時代の内田篤人【写真:徳原隆元】
欧州最高峰のCLで輝きを放ったシャルケ時代の内田篤人【写真:徳原隆元】

【カメラマンの目】常勝鹿島からシャルケへ、欧州トップレベルでプレーした内田

 Jogar bola。このポルトガル語を英訳するとPlaying Soccerとなる。日本語で言えば「サッカーに興じる」でもいい。Jogar(プレーする。遊ぶ) futebol(フットボール)とも言うが、bola(ボール)でも「サッカーをする」と訳す。ブラジルではボールと言えばサッカーボールを意味するのだ。

 そう、サッカーはボールさえあれば誰でも、どんな場所でも楽しむことができる。そしてサッカーは世界中のあらゆる場所にあふれている。

 人はボールを蹴り、試合を見ては勝敗やスーパースターが生み出すハイクオリティーなプレーに感情を刺激される。サッカーによって仲間とのつながりも強まり、時に人生観にだって影響を及ぼす。そんなJogar bolaな人たちや場面を切り取った写真とともに、その時のエピソードや感じたことを文章にして添え、サッカーの持つ魅力を伝えていこうと思う。

   ◇   ◇   ◇

 スタンドで鈴生りとなったサポーターたちが発する大音響の声援が響き渡る、熱狂の戦いのなかに内田篤人はいた。ロングスローで前線にボールを運ぶ姿にカメラのシャッターを切る。ロングスローは豊富な運動量をベースに、ドリブルで相手陣内へと攻め上がり、ゴール中央へ正確なラストパスを供給するプレーとともに、内田というサッカー選手の武器の1つだった。

 舞台は写真からも分かるように、ヨーロッパクラブの頂点を決定するUEFAチャンピオンズリーグ(CL)。スタジアムを包むサポーターたちが作り出す壮大な声援の調べは、改めてこのスポーツがそこに住む人々と密接な関係で結び付いていることを感じさせた。

 サポーターの多くは自分たちの文化的アイデンティティーを地元チームへと投影し、サッカークラブを他者に対する代弁者であると考えている。それ故に惜しみないサポートを注ぐことになる。彼ら、彼女らは地域の象徴となるクラブに成功と同義の勝利を期待し、自らの存在意義を確認しているのだ。

 グローバル社会となった現代では、地域の人たちの思いを受けてプレーする選手たちに、もはや国境など存在しない。日本人であってもサッカー選手としての能力が認められれば、世界のどこであろうと身を投じることができる。

 内田が日本国内で常勝を誇った鹿島アントラーズからシャルケへと移籍した当時、このゲルゼンキルヒェンを本拠地とするチームは、大国ドイツで強豪の1つに数えられ、その活躍の場は国内リーグに留まらず、ヨーロッパ全土へと進出していた。日本サッカー史の右サイドバック(SB)において傑作の1人として挙げられる内田は、シャルケの一員としてヨーロッパのトップレベルのサッカーシーンで輝きを放つことになる。

ロールモデルコーチとして指導をする内田篤人【写真:FOOTBALL ZONE編集部】
ロールモデルコーチとして指導をする内田篤人【写真:FOOTBALL ZONE編集部】

世界の一流選手たちとしのぎを削った内田、引退後はロールモデルコーチとして指導

 取材ノートを読み返してみると、CLの舞台に立った内田を撮影したのは2013年3月12日対ガラタサライ戦(2-3)、13年10月23日対チェルシー戦(0-3)、15年2月18日対レアル・マドリード戦(0-2)の3試合。内田はこの3試合にフル出場を果たしている。撮影したカットから、シャルケの背番号22番・内田の写真を選び出してみる。

 ガラタサライ戦でチーム2点目のアシストを記録して喜ぶ姿。エデン・アザールやフェルナンド・トーレスを有するチェルシーとの一戦では、試合後にラミレスと握手を交わす場面にシャッターを切った。内田の精悍な表情が実に印象的な1枚だ。

 レアル戦では世界的DFをもパワーでねじ伏せていたカリム・ベンゼマを背後から激しくマークし、さらに個人で打開できる攻撃の限界に挑戦するように、圧倒的なスピードとキレで相手に真っ向勝負を挑んでいたクリスティアーノ・ロナウドとつばぜり合いを演じていた。写真は果敢に戦う内田の姿を克明に記録していた。

 こうした世界トップレベルの戦いを経験した内田は、20年8月をもって惜しまれながらもスパイクを脱ぐ決断を下す。

 その後、ロールモデルコーチとして日本の次代を担う若手の指導にあたっている姿を何度か取材した。選手たちが好プレーを見せると「素晴らしい!」と笑顔で称えていたのが目を引き、その立ち位置は選手たちの兄貴分といった雰囲気だった。

 現在もアルゼンチンで開催されているU-20ワールドカップ(W杯)で、日本代表のロールモデルコーチとしてチームに同行している。その内田には指導者として、現役の選手たちへ彼だけが特別に伝えられることがあると思っている。それはCLをはじめとした大観衆が見守るなかで世界の強豪の向こうを張り、プレーした豊富な経験である。

 日本人が海外のクラブでプレーすることが当たり前となった今の時代においても、ヨーロッパチャンピオンを決める大会で、世界を代表するビッグクラブと幾度もしのぎを削った経験を持つ選手はそれほど多くない。

強豪で指導を受け活躍した内田がチームを指揮したら、どんな集合体を作り上げるのか

 内田本人にとっては辛かっただろうが、彼は怪我によりプレーができないというもどかしさにも直面している。14年2月26日のCL対レアル戦にもシャルケのホームスタジアムであるフェルティンス・アレーナに足を運んだが、内田はこの試合を負傷欠場している。彼の現役生活は長いリハビリ期間によってピッチに立つことができなかった悔しさが交差する。決して栄光だけで形作られたストーリーではないのだ。

 世界のトップレベルとの試合に代表でもプレーした内田の確かな技術と、さまざまな状況に立ち向かった経験は、今を戦う選手たちの手本となることは間違いない。

 Jリーグ誕生から30年が過ぎ、プロを経験した人物から監督が誕生しているなか、内田の選手時代の経験は群を抜く。

 内田のような選手時に世界の強豪クラブで指導を受け、それを大舞台で実践した人物がチームを指揮した場合、どんな集合体を作り上げるのか。そう興味を持つ人は決して少数派ではないはずだ。

 熱戦のCLでプレーする内田の雄姿をゴール裏から見てきた自分も、彼がライセンスを習得して経験を積み、チームの全権を担う監督に就くことを期待している1人なのである。

page1 page2

徳原隆元

とくはら・たかもと/1970年東京生まれ。22歳の時からブラジルサッカーを取材。現在も日本国内、海外で“サッカーのある場面”を撮影している。好きな選手はミッシェル・プラティニとパウロ・ロベルト・ファルカン。1980年代の単純にサッカーの上手い選手が当たり前のようにピッチで輝けた時代のサッカーが今も好き。日本スポーツプレス協会、国際スポーツプレス協会会員。

今、あなたにオススメ

トレンド

ランキング