農家転身の元Jリーガーが“事件”回顧で反省「最悪の結果が…」 長谷部誠から愛あるお叱り「調子に乗ってんじゃねーよ」

ポンテらブラジル人が怒鳴り合い、直後にバリカンで丸刈りに「放心状態でしたよ」

 初出場した07年のAFCアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)で決勝に進んだ浦和は、イランでの第1戦に向けてアラブ首長国連邦(UAE)のドバイで直前合宿を実施。帯同した西澤は、ここで丸刈りにされてしまう。

 8月5日のサテライトリーグの試合で得点できなかったら、髪を切る約束をロブソン・ポンテと交わした。西澤はしっかりチームの6点目を決めていたが、ドバイのホテルでポンテに呼び出され、「駄目だったな」と3か月も前の件に因縁を付けられた。「点を取る条件が、サテライトの次の練習試合まで続いていたんですよ。そんなの初耳だったけど、どっちにしても理由を付けて僕を丸刈りにしたかったんでしょうね」と笑う。

 ポンテの部屋には、すごみを利かせたワシントンとネネも待機。風呂場に連れていかれると、3人のブラジル人が突然怒鳴り合いのけんかを始めた。「言い合いが終わると、無言のポンテに頭を押さえつけられ、いきなりバリカンを入れられたんです。もう放心状態でしたよ」と苦笑。それから西澤はブラジル人選手に可愛がられ、いじられ続けた。

 17年7月17日にあった元浦和の鈴木啓太の引退試合には、西澤もポンテも参加した。その前夜だ。ポンテからメールが来た。「ホテルでバリカンを持ってにやつき、“行くぞヨシヤ、明日は楽しみに待ってろよ”みたいなポーズを決める動画でした。ユーモアのセンスは相変わらずですが、ドバイでの衝撃は一生忘れられません」と語り、そのレアな写真を所望すると「記念にもならないのでありません」と一蹴された。

 16年の選手生活で後悔したことが一度だけある。浦和から草津に期限付き移籍し、さらに栃木へ完全移籍した11年2月27日に栃木県グリーンスタジアムで開催された古巣・浦和とのプレシーズンマッチだ。西澤は4-4-2の右サイドバックで先発し、前半6分に逆襲から攻め上がって強烈なシュートを放つなど、はつらつと動き回った。

 何を悔やんだのか? 「試合のあと、レッズのサポーターに挨拶できなかったことです。照れくささと栃木をJ1に上げてから挨拶しよう、という気持ちが半分ずつあったなかで、昇格してからの思いのほうが強かったんです。松さん(松田浩監督)のミーティングもすぐ始まっちゃったので」と述懐した。

 結局、浦和とはJリーグの舞台で一度も戦えず、浦和の支援者に頭を下げられないまま引退した。「今だったら、真っ先に挨拶に向かいます」と何年経っても未練はある。

(文中敬称略)

[プロフィール]
西澤代志也(にしざわ・よしや)/1987年6月13日生まれ、埼玉県出身。浦和レッズユース―浦和レッズ―ザスパ草津―栃木SC―沖縄SV。J1リーグ通算7試合0得点。J2通算99試合0得点。J3通算43試合1得点。右サイドバックで長年プレー。2006年、浦和ユースから同期の堤俊輔、小池純輝とともにトップ昇格を果たす。草津、栃木を経て、19年から沖縄SVに在籍し、21年シーズンを最後に引退。

(河野 正 / Tadashi Kawano)



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河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

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