“野人”岡野雅行の忘れられない一撃 フランスW杯出場へ導いたゴールが生まれた理由「僕は見捨てられるな、と思った」

“野人”の異名を持つ岡野雅行氏【写真:Getty Images】
“野人”の異名を持つ岡野雅行氏【写真:Getty Images】

【1998年フランスW杯戦記|岡野雅行】相手GKも思わず「あ…」 興奮のW杯出場決定弾

 今年11月、いよいよカタール・ワールドカップ(W杯)が開幕する。森保一監督率いる日本代表はグループリーグでスペイン、ドイツ、コスタリカと同グループとなり、“死の組”とも言われる厳しい状況のなか、史上初の大会ベスト8入りを目指す。

 7大会連続となる世界の大舞台。これまで多くの代表選手が涙を流し、苦しみから這い上がり、笑顔を掴み取って懸命に築き上げてきた日本の歴史だ。「FOOTBALL ZONE」では、カタール大会に向けて不定期企画「W杯戦記」を展開し、これまでの舞台を経験した人物たちにそれぞれの大会を振り返ってもらう。その快足と長髪の風貌から“野人”の異名を持つ岡野雅行氏(ガイナーレ鳥取GM)が、日本の史上初W杯出場となったフランス大会を回想する。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小杉 舞)

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 ひと振りが日本サッカーの歴史を変えた。のちに「ジョホールバルの歓喜」と語り継がれることになる一戦は1997年11月16日、マレーシアで行われたアジア最終予選、イランとの第3代表決定戦で日本が悲願のW杯初出場を決めたものだ。

 試合は、FW中山雅史のゴールで先制したものの、後半に勝ち越しを許した展開。しかし、途中出場のFW城彰二の一撃で追いつくと、当時の規定でゴールデンゴール方式の延長戦に突入した。当時指揮を執っていた岡田武史監督は、最終予選で出場機会のなかった岡野延長戦のピッチに送り込んだ。

 だが、岡野は延長前半に何度も決定機を外す。重苦しい空気が漂うなか、勝利の女神がほほ笑んだのは延長後半13分だった。MF中田英寿がドリブルで持ち込むと、左足で強烈なミドルシュートを放つ。相手GKがかろうじて手で弾いたボールはゴール前にこぼれ、そこに岡野がスライディングで飛び込んで押し込んだ。これが、日本代表が初めてW杯への出場を決めた劇的な決勝ゴール。岡野自身も忘れられない一発だ。

「(決めたあとは)映画のようだった。ほとんどスローモーションで、真っ白になった。相手のGKと目が合ったのを覚えている。GKが口を開けて、『あ…』と。本当に興奮して何が何だか分からないなかでやっていたから、僕、イランベンチに走っていっちゃったんですよね(笑)。それぐらい何がなんだか分からない状況だった。嬉しいというより、ホッとした。日本に帰れる、これですべてが終わったという感じだった」

 この歴史的なゴールを引き出したのは紛れもない、ともに戦ってきた仲間だった。延長前半、決定機を何度も外した岡野にチームメイトが駆け寄ってきた。よみがえるドーハの悲劇の記憶……。「何やってるんだ!」「しっかり決めろ」。そう言われると思っていた。だが、掛けられたのは予想外の言葉だった。

「僕は見捨てられるな、と思った。シュート外しまくって。そしたら、みんなが寄ってきてくれて、笑わせてくれた。名波(浩)やヒデ(中田英寿)なんかが『そりゃそうだよ、こんな場面で出されてシュート打てないよな、分かる』『でも、1点取ったらチャラだからさ、お前しかいないから頼む』と、みんなが背中さすってくれたりして、そこで全部スッと抜けた。その時、俺にできることは何だろうと考えた。ボールを追いかけ回して、できることを精一杯やろう、と。(決勝ゴールの場面も)ヒデがドリブルしていたので、僕は本能的に走った。だから、僕はあそこにいた。パスが出てこないかなと狙っていた。そしたら、あそこにたまたま転がってきた」

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