「W杯を分かっていなかった」 呂比須ワグナーが夢のフランス大会で後悔した出来事は?
【1998年フランスW杯戦記|呂比須ワグナー】1勝1分1敗のプランを立てるも「誰もW杯を知らなかった」
ブラジルのサンパウロFCでプレーしていた呂比須ワグナーが、日産自動車(横浜F・マリノスの前身)への移籍のために初めて来日したのは1987年のこと。日本を愛し、日本でプレーし続けた彼は、1997年に日本に帰化し、日本代表としてフランス・ワールドカップ(W杯)のアジア予選と本大会を戦った。今年11月に開催されるカタールW杯を前に、当時の記憶を振り返ってもらった。(取材・構成=藤原清美)
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「僕は帰化するまでに、10年間日本でプレーしていたんだ。そして、日本のパスポートを受け取った10日後に、日本代表に招集された。幸せだったよ。選手としてはもちろん、僕という人間に、すごく価値を置いてもらえたように感じたんだ。
日本代表としてのデビュー戦は、国立競技場でのW杯アジア予選の韓国戦(1997年9月28日/1-2)。それまではいつでも応援していた僕が、これからはピッチの中で手助けできるんだということに感動した。日本が僕にしてくれたことすべてに、これ以上ない形で“オンガエシ”(恩返し)ができるんだ、とね」
呂比須はアジア予選で3ゴールを決めて、本大会出場に貢献した。そのフランスW杯は、彼を含めて、日本にとって初めての世界への挑戦だった。
「今とは全く違う時代だったよね。誰もW杯を戦ったことがなかったんだから。岡田さん(岡田武史監督)は、『1勝1分1敗でOKだ』というプランを立てた。つまり、グループリーグを勝ち抜くために、勝ち点4が必要だとすれば、理論的にはアルゼンチンかクロアチアに引き分け、ジャマイカに勝ったら、決勝トーナメント進出だ。でも、僕は『いや、3試合とも勝つんだ』と思ったものだよ。選手は前もって引き分けや負けの計算なんてしたくない。まあ、僕自身、W杯というものを分かっていなかったんだけどね」
藤原清美
ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。