“静岡サッカー”は本当に風前の灯火なのか 他県のレベル上昇も「普通のお母さんがうますぎ」な“王国”のリアルな姿

「負けた記憶がない」“勝者のメンタリティー”を持ったかつての選手たち

 それが1993年のJリーグ発足や、1998年のフランス・ワールドカップ(W杯)初出場、2002年の日韓W杯開催などの影響で、日本中でサッカー熱に火がつき、男の子の将来なりたい職業の1位がプロサッカー選手になるなどして、全国的に底辺が一気に拡大していった。それによる日本サッカー全体のレベルアップは、現在の日本代表にも成果として明確に表われている。

 そうなると当然、全国的なレベルが均衡し、静岡が飛び抜けた存在でなくなってくるのは仕方ない。確率論でいえば大都市など人口の多い地域のほうが、能力の高い選手が出現する可能性は高くなる。静岡県民としては少し寂しさを感じつつも、日本のサッカーが強くなるのは喜ばしいことだ。

 また高校サッカーでいうと、全国的に力が拮抗してくれば、県内に強豪高が多いというのは逆に不利な要素となる。1強と言われるような飛び抜けた高校がある県であれば、そこに有力選手が集中するが、静岡では分散してしまうからだ。さらに清水と磐田のユースがあるため、将来のプロ候補たちはそちらを選択することが多い。2019年度の高校選手権で優勝した静岡学園は、県外出身選手のほうが多いというのが現状だ。

 Jリーグの清水と磐田の低迷に関しては、クラブそれぞれの問題もあるだろう。例えば鹿島アントラーズは、周辺地域の人口がそれほど多いわけではないし、特別にサッカーが盛んな地域でもないが、Jリーグ創設時からコンスタントにタイトルを取り続けてきた。その鹿島に見られるクラブとしての一貫したコンセプトや哲学を、静岡の2クラブが持ち続けてきたかと問われれば、首を横に振らざるを得ない。

 清水と磐田が強かった時期は、静岡県が抜群に強かった時代に育った選手たちが中心となってチームを支えていた。その中には清水FC(旧清水市の小中学校の選抜チーム)出身者も多かったが、彼らに幼き頃の時代のことを聞くと「小学校の頃は試合に負けた記憶がない」とか「負けたのは1回だけ。だから優勝した試合よりも負けた試合のほうがよく覚えている」といった言葉をよく聞いた。

 子供の頃から勝つのが当たり前という環境で育ったので、心の根底に揺るぎない自信が醸成される。たまに負けると本当に悔しいので、自然と強い負けん気も育つ。もちろん技術や戦術眼の面も、高いレベルの中で切磋琢磨されていく。そして高校でも結果を出し続けてきたなかで、勝ち方を知っている選手、勝負に強くこだわれる選手――すなわち“勝者のメンタリティー”を持った選手が数多く育っていった。

 そんな選手ばかりなのだから、プロになっても強くて当たり前だった。だが、恵まれた財産にあぐらをかいていたとしたら、その世代がいなくなった時に弱体化していくのは当然のことだろう。現在の状況で育った静岡の選手たちに、いきなり「勝者のメンタリティーを身に付けろ」と言っても無理がある。となれば、また違ったアプローチの強化方法を考えていかなければならないだろう。

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前島芳雄

まえしま・よしお/静岡県出身。スポーツ専門誌の編集者を経て、95年からフリーのスポーツライターに。現在は地元の藤枝市に拠点を置き、清水エスパルス、藤枝MYFC、ジュビロ磐田など静岡県内のサッカーチームを中心に取材。選手の特徴やチーム戦術をわかりやすく分析・解説することも得意分野のひとつ。

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