3度の挫折を乗り越えて こだわり続けたプロへの道、不屈の男が歩んだ“恩返し”のキャリア
【元プロサッカー選手の転身録】鳥養祐矢(琉球、山口)前編:女手1つで育ててくれた母親ら家族への恩返しでプロを目指す
世界屈指の人気スポーツであるサッカーでプロまでたどり着く人間はほんのひと握り。その弱肉強食の世界で誰もが羨む成功を手にする者もいれば、早々とスパイクを脱ぐ者もいる。サッカーに人生を懸けて戦い続けた彼らは引退後に何を思うのか。「FOOTBALL ZONE」では元プロサッカー選手たちに焦点を当て、その第2の人生を追った。(取材・文=石川遼)
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今回の「転身録」はジェフユナイテッド市原・千葉のユースで育ち、その後JFL(日本フットボールリーグ)でのプレーを経て、2014年に加入したレノファ山口で活躍した鳥養祐矢だ。昨年、スパイクを脱いだばかりの34歳は、山口県山口市で市議会議員として当選し、政治家としての道を歩み始めた。何度も挫折を経験しながら、躍進を遂げた山口ではチームキャプテンも務めた不屈の男のキャリアを振り返る。
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選手としての歩みは決して平坦なものではなかった。千葉県出身で、スカウトされてジェフユナイテッド千葉のユースに所属したが、高校卒業時にトップチームへ昇格することはできず。幼少期から夢見ていたプロになるための壁が厚いことを知る。鳥養はこれを人生最初の挫折として振り返るが、その後も挫折の連続だったという。
「親はもちろん、自分がサッカー選手になることを楽しみにしてくれる方が周りにたくさんいました。でも、自分の中ではプロになるまでに3度の挫折がありました。高校でプロになれなかった時、大学でプロになれなかった時、そして2012年限りでSAGAWA SHIGA FCが活動停止になった時です。この3つは自分の中で大きな節目で、サッカーを辞めたほうがいいんじゃないかと考えたくらいですから」
その後、2013年には当時JFLだったFC琉球からプロ契約のオファーを受けて加入したものの、シーズン開幕直前に右膝の半月板損傷の重傷を負い、長期離脱を余儀なくされた。期待に応えることができず、わずか1年で契約満了となった。
何度もつまずき、転がり落ちそうになったが、それでもプロとしての活躍を諦めなかったのは、「サッカーを続けさせてくれた家族への恩返し」を心に持ち続けていたからだ。女手1つで育ててくれた母親と、祖父母からの応援が鳥養を支えていた。