“逆輸入Jリーガー”宮市亮の何が変わった? 元日本代表DFが直撃、Jリーグ適応への苦労と2年目飛躍の要因

宮市は「まだ上手くなれる」とF・マリノスでの挑戦に意欲的だ【写真:徳原隆元】
宮市は「まだ上手くなれる」とF・マリノスでの挑戦に意欲的だ【写真:徳原隆元】

「亮には期待しかない」(栗原)、「マリノスファミリーでタイトルを」(宮市)

――海外で怪我に苦しむ時期もありましたが、宮市選手はまだ29歳。今後のキャリアビジョンは?

宮市「以前は日本代表をすごく気にしたりしたんですけど、今は怪我も治って、今後のキャリアを見据えるというよりも、1日1日を大事にすることが僕にとって重要だと思っています」

栗原「亮には期待しかないよ。実力もあるし、人間性も素晴らしい最高の選手だから」

宮市「そんなに褒めていただけるなんて(笑)」

栗原「亮が活躍すればするほど、F・マリノスも絶対に盛り上がる」

宮市「日本での最初のクラブがF・マリノスで本当に良かったと思います。海外に行って、怪我をしてしまったことで、正直マイナスをゼロに戻す作業しかしてこれず、なかなかゼロから1、2と練習をして積み上げることができなかった。もう30歳目前ですけど、スタイルが確立されたF・マリノスで学んでいるというか、充実した日々を過ごしています」

栗原「ゼロよりも上のところで日々を送れているという言葉を聞けて嬉しいよ」

宮市「小さい階段を1つずつですけど、上がれていると思います。F・マリノスほどサッカーのスタイルがしっかりして、ブレないチームはなかなかない。これまでプレーしてきたチームでは、アーセナルが少しそういうところがあったくらいです。F・マリノスは練習から要求も高いし、レベルも高い。まだまだ自分はサッカーが上手くなれると思っています」

栗原「亮からファン・サポーターの方へメッセージをもらえるかな?」

宮市「移籍後初ゴールまで、本当にお待たせしました。加入当時からずっと応援してくれていましたし、まずは本当の意味でF・マリノスの一員になれたと思います。自分たちは優勝を目指してやっているチームなので、選手たちだけでなく、ファン・サポーターのみなさんを含めたマリノスファミリーでタイトルを勝ち獲れるように頑張っていきましょう!」

※第2回へ続く

[プロフィール]
宮市亮(みやいち・りょう)/1992年12月14日生まれ、愛知県出身。中京大中京高―フェイエノールト(オランダ)―アーセナル―ボルトン―ウィガン―アーセナル(いずれもイングランド)―トゥエンテ(オランダ)―ザンクト・パウリ(ドイツ)―横浜F・マリノス。J1通算10試合1得点、日本代表通算2試合0得点。高校卒業後にプレミアリーグの名門アーセナルと5年契約を締結し、Jリーグを経由せずに世界へ。足首の靭帯損傷、両膝の前十字靭帯を断裂するなど、怪我と戦いながら、海外3か国で計10年間プレーした。2021年7月に横浜FMに加入。2年目の今季はケヴィン・マスカット監督の下、スピードを生かしたプレーが随所に見られている。

栗原勇蔵(くりはら・ゆうぞう)/1983年9月18日生まれ、神奈川県出身。横浜F・マリノスの下部組織で育ち、2002年にトップチーム昇格。元日本代表DF松田直樹、同DF中澤佑二の下でセンターバックとしての能力を磨くと、プロ5年目の06年から出場機会を増やし、最終ラインに欠かせない選手へ成長した。日本代表としても活躍し、20試合3得点を記録。横浜FM一筋で18シーズンを過ごし、19年限りで現役を引退した。現在は横浜FMの「クラブシップ・キャプテン」として活動している。

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