「街全体がサッカーを呼吸している」 鹿島レジェンドDFジョルジーニョがチームとサポーターに献身した訳

ジョルジーニョは鹿島4年間で同僚たちとも深い友情を築いた【写真:Getty Images】
ジョルジーニョは鹿島4年間で同僚たちとも深い友情を築いた【写真:Getty Images】

【あのブラジル人元Jリーガーは今?】ジョルジーニョ(元鹿島):後編――ジーコ兄エドゥから託されたリーダーの役割

 Jリーグがスタートして3年目の1995年に、ドイツ1部バイエルン・ミュンヘンから移籍したジョルジーニョ。彼の日本での思い出をたどる時には、右サイドバック(SB)やボランチとしての素晴らしいプレーだけに限らず、ブラジル代表やドイツでの豊富な経験を基に、チームにもたらしたさまざまな形での遺産が語られる。

 そのピッチ内外での戦いと、チームでの愛情と情熱に満ちた日々を振り返る。

「エドゥが僕を日本に連れていってくれたんだ。当時の鹿島の監督であり、ジーコの兄でもある。ちょうどFWアルシンドが去る時で、ジーコは『君を呼びたかったんだけど、今回はFWを補強しないといけない』と言っていてね。そこでエドゥが『いや、僕はジョルジーニョが欲しい。FWは別の形でなんとかする』と。そして、こうも言っていた。『ジョルジ、君にはプレーで貢献するだけではなく、リーダーとなって、選手として大事なことを日本人のチームメイトたちに伝えて欲しいんだ』。僕がピッチの内外で、どんな貢献ができるかを信じてくれた、彼の言葉が僕をすごく惹き付けた」

 4年間で6つのタイトルに貢献した彼には、思い出に残る試合がたくさんある。

「一番はやっぱり1996年、ホームでの鹿島対名古屋グランパス戦だ。優勝を争うチーム同士の直接対決に4-2で勝ち、1節を残して、僕らのJリーグ初優勝が決まったんだ。僕は太腿の筋肉を怪我していたんだけど、試合の最後までプレーした。キックオフのすぐあとにゴールを奪われて、それでも僕らは逆転できると信じていた。相手のプレッシャーを前に、もっといいパスを出そう、もっとスピーディーにプレーしよう、と。あの時の僕らの姿勢が心に刻まれる。

 そうやって、あのサポーターの歓喜を見ることができた。街中が歓喜に包まれるのを見た。実際、特別な瞬間だった。鹿嶋はJリーグの中でも小さな街のチームの1つで、優勝なんて不可能だと思う人も多かったんだ。だけど、大事なのは、自分たちのチームの正当に評価して、信じられるかどうかだった。そして、僕らは信じたんだ。スターなんて1人もいなかった。ビッグネームはいたけど、チームを手助けするために存在したんだ。僕らはみんな、優勝することだけを考えて、謙虚に、限界を超えて戦う戦士たちだった。

 だけど、まさか自分がJリーグ最優秀選手賞に選ばれるなんてね。会場で僕の名前が呼ばれて、すべてのスポットライトが僕に向けられた時には、身体中が震えたよ。普通、ああいう賞をもらうのはゴールを決める選手であって、元SBのボランチが受賞するなんて、あまりない。だから、あのMVPはチームみんなのものだ。あの優勝がなければ、あのチームメイトたちが一緒でなければ、個人賞もあり得なかったからね」

藤原清美

ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。

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