本田&ミランを再生へと導くフィリッポ・インザーギ 若き指揮官が内に秘める信念と野望

ミラニスタの“シンボル”は名門再建の切り札となった

 今年6月、晴れてトップチーム監督就任のオファーがインザーギへなされた。二つ返事で引き受けた彼の抱負は明快だった。名門再建のため、何よりもまずチームに“魂”を取り戻す。
「きれいな言葉を並べるのは好きじゃない。ファンの心を再びつかむのは結果だけだ。選手たちには全てを投げ出す覚悟でプレーしてもらう」
 腕試しとなった7月の北米ツアーで、ミランは屈辱の3連敗を喫した。だが、インザーギは冷静さを失わず「自分のせいだ」と守備陣を全面的にかばった。
 アッリエーヴォを指導していたときと同様「プレーのミスには怒らない。俺が叱るのは、全力で走らない者に対してだけだ」と説き、選手が萎縮することを防いだ。
 長距離移動の合間を縫って戦術アナリストと分析を重ねた。練習中はプレーヤーの感覚でリズムを重視し、率先して動きながら「Bravo(いいぞ)!」と声をかけ続けた。
 エゴイストという現役時代のイメージとは裏腹に、監督インザーギは指導者として謙虚に日々の指導へ打ち込んでいる。彼ほどの元一流選手が立場を変えても全力を尽くす姿を見れば、プライドが高い選手たちが意気に感じないはずはないのだ。指揮官がとりわけ期待を寄せるFWステファン・エル・シャラウィと新加入のFWジェレミー・メネズが口をそろえる。
「監督のやる気とカリスマが、こちらにまで伝染してくる。チームに対する監督の働きぶりは本当にすごい」
 前任者2人とは異なり、インザーギは選手たちと対話を重ね、チームを構成する一人ひとりの気持ちをくもうとする。このメソッドがやがて強固なチームの土台を築くことは、範にとった恩師カルロ・アンチェロッティ(現レアル・マドリード監督)の実績が証明している。
 生え抜きの指導者インザーギは、ミランにとって再建の切り札だ。クラブ通算126ゴールを挙げた“スーペル・ピッポ”はただのOBではない。クルヴァ・スッド(サン・シーロの南側ゴール裏席)に集うミラニスタのシンボルを表舞台に担ぎ出した以上、フロントも近年なかったほどの補強に動いた。クラブも背水の陣だ。
 ミランのように歴史とプレステージ性を兼ね備える名門クラブの立て直しは、どんな世界的名将でも躊躇する難業だろう。だが、新監督はひるむわけにはいかない。彼には、ミランの監督としてCLを制覇する、夢があるからだ。
 指導者への道を歩み始めたとき、彼は「ミランからの申し出だったから承諾した。ミランでなければ意味がなかった」と強調した。インザーギほど、ミランへの忠義心にあふれる人間はいない。
 セリエA監督としてのデビュー戦だったラツィオとの開幕ゲームを3-1の完勝で飾ると、インザーギは安堵の大きなため息をついた。選手時代と同じくらい緊張したという彼は、「一丸となって勝利を目指すミランのDNAを取り戻した」と、少しだけ満足げに語った。
 ロッソネロ完全復活までの道のりは長く険しい。インザーギの眠れぬ夜はまだ始まったばかりだ。
◆フィリッポ・インザーギ
1973年8月3日、イタリア生まれ。現役時代は通算300ゴール以上挙げた点取り屋。96-97シーズンにアタランタでセリエA得点王に輝き、頭角を現す。ユベントスを経て01年にACミランへと移籍すると、11-12シーズンに引退するまでロッソネロ一筋。現役を退くと、育成年代で指導者のキャリアをスタートさせ、今季からACミランで指揮を執る。
◆ACミラン
1899年創設。ミラノ市を本拠地とする名門クラブ。80-81シーズンにセリエBへと降格して低迷期を迎えた。だが、86年に後の首相となるシルヴィオ・ベルルスコーニが会長職に就き、欧州チャンピオンズリーグ(CL)に5度優勝するなど、国内外で数々の栄光を手に入れる。特に、94年のCL決勝で当時ドリームチームと評されたFCバルセロナを4-0で破った試合は語り草となっている。14シーズンから日本代表MF本田圭佑が在籍。昨季セリエAで8位に終わり、今季は巻き返しを図る。
【了】
弓削高志●文 text by Takashi Yuge

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