本田&ミランを再生へと導くフィリッポ・インザーギ 若き指揮官が内に秘める信念と野望

背中を押したモウリーニョの言葉「一流クラブで身を引いてこそ、真の一流プレーヤー」

 2年前の秋に指導者へと転身して以来、フィリッポ・インザーギの睡眠時間は激減した。戦術大国イタリアのサッカー監督と言えば、ワーカホリックとほぼ同義だ。ベッドに入った後も頭の中は仕事のことでいっぱいで、寝付きがいいわけがない。ましてや、セリエA監督としてのデビュー前夜ならなおさらだ。今季開幕前夜、ミランの新指揮官は、まるで待ちに待った遠足か大事な発表会を控えた子どものように、期待と緊張でなかなか寝付けなかった。
 2012年の秋、欧州中のGKとDFを震え上がらせた伝説のストライカー、フィリッポ・インザーギの第二のサッカー人生が始まった。
 もう1シーズン、現役にこだわろうとした彼へ引導を渡したのは、当時のミラン監督マッシミリアーノ・アッレグリだった。現役最後の冬、欧州チャンピオンズリーグ(CL)出場選手登録から外されたインザーギは、アッレグリと自分の間に建設的な未来がないことを悟った。
 夏になると、ジェンナーロ・ガットゥーゾやアレッサンドロ・ネスタといったベテランのチームメートたちは、次々にクラブを後にした。カカや司令塔アンドレア・ピルロは、前年までに既に新天地へ去っていた。CLを2度制した00年代のミラン黄金時代。その中心メンバーのうち、最後まで残ったのはインザーギだった。
 進退を悩んでいたころ、インザーギはジョゼ・モウリーニョから1本の電話を受けた。
「一流クラブで身を引いてこそ、真の一流プレーヤーだろう」
 名将の敬意あふれる言葉に胸打たれたインザーギは、既にラツィオの育成組織でキャリアを積んでいた弟シモーネの強い薦めに従い、指導者転向を決めた。
 U-16世代にあたる“アッリエーヴォ”の監督に就任したインザーギの職場は、華やかなカルチョの殿堂サン・シーロから、ミラノ郊外のヴィスマーラ練習場へと変わった。
 自分の半分以下の年齢にしか達していない選手たちを相手に、インザーギは一から指導論を学び始めた。ベテランコーチ陣の教えを乞いながら練習メニューを作り、実践させることを覚えた。ホイッスルを吹き、自らも汗を流しながら、練習後にはスタッフミーティングで戦術議論を交わした。
 多感な思春期の真っただ中にあるU-16世代は、まだサッカー選手として“色”が付いていない。彼らの成長に道筋を付けるのは指導者の役目だ。インザーギは新たな仕事の怖さと、面白さを知った。
 そう遠くない現役時代の経験を踏まえて、選手たちの心情を思いやり、それに応える采配を振るった。ルールは明確にし、チームの秩序を乱す者にはプレーを許さなかった。それは、インザーギ流のチームマネジメント術とでも言えるものだった。

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