なぜ副審として走り続けるのか 八木あかねが追求する「無私」のメンタリティー

サッカーとフットサルで審判員を務める八木あかね氏【写真:Getty Images】
サッカーとフットサルで審判員を務める八木あかね氏【写真:Getty Images】

【インタビュー】父親が応募した「Jリーグ審判育成コース」がきっかけで審判の道へ

 JリーグとフットサルのFリーグで審判員を務める八木あかね氏は、Jリーグ通算459試合で副審を務めた実績を持つ。なぜ、当時ではまだ珍しい20代序盤で審判員の道に進んだのか。そして、20年以上もピッチに立ち、主審のサポート的役割を続ける原動力となっているものとは――。その生きざまを追った。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小田智史/全3回の1回目)

   ◇   ◇   ◇

 大阪府生まれの八木は、高校までは自身もサッカーをやっていたが、卒業をもって選手としてのキャリアにはピリオドを打った。

「サッカーに関わる仕事がしたい」

 ぼんやりと将来のビジョンは持っていたものの、定職に就かずにいた日々に突如転機が訪れたのは21歳の時。見るに見かねた父親が、相談なく「Jリーグ審判養成コース」に応募していたのだった。

「僕も現役の頃は、選手として一生懸命やっていました。でも、当時のサッカー界は天皇杯決勝も冬の枯芝の上でやっているような時代。緑色の天然芝の上で、プロとしてサッカーをするとか、とてもイメージできませんでした(苦笑)。父親が僕に言わずに『Jリーグ審判養成コース』に申し込んでいて、ある日書類選考合格の返信ハガキが届いて驚きました。ふとしたきっかけから審判員という仕事に出会いましたが、まだJリーグ3年目の1995年ということもあって、審判員がサッカーの中で重要だとか、まったく理解していませんでした」

「Jリーグ審判育成コース」は、立ち上げから3期生まではJSL(日本サッカーリーグ)やJFL(日本フットボールリーグ)でプレーしていた“元選手”がベース。そこから、Jリーグのクラブが選手やコーチだけでなく、審判も育成していこうという流れとなり、八木が参加した4期生から一般公募が始まった。タイミングは運命的だったと言えるかもしれない。

 1年間勉強を重ね、2級審判員の資格を獲得。その後は、2級審判員として地元の関西で活動しながら、審判員の道を目指して6年目を迎えた2000年度にサッカー1級審判員の試験を受験。見事合格(安元利充、石川恭司、早川一行、八木あかね、戸田東吾、入部進也の6名が合格)し、26歳にして1級審判員となった。元日本サッカー協会 審判委員長の上川徹には、大きな影響を受けたという。

「たくさんの方に関わっていただき、今の自分がいます。そのなかで、『Jリーグ審判養成コース』の先輩(1期生)で、選手上がりの上川さんは、10歳年上ですが、気さくに接してくださいました。僕が審判員の勉強を始めた頃にはすでに1級審判員で、どんどんキャリアを積まれて、2002年、06年とワールドカップにも参加されて、カッコいい先輩だと思って見ていました。上川さんは僕が1級審判員に合格した2000年度、日本サッカー協会の審判部に所属されていて、誰かの席に置かれた『1級審判員合格者』というリストを見て、『おめでとう! お前、1級受かったな』と電話をくださったんです。でも、それはまだ内部書類だったみたいで、僕は『なんのことですか?』と(苦笑)。自分のことのように喜んでくれて、本当に優しい兄貴だなと思いました」

今、あなたにオススメ

トレンド

ランキング