「鹿島は僕にとっての情熱」 元ブラジル代表ストライカーが黄金期で感じた勝利の追求

フルミネンセのサッカースクールでコーチとして指導する【写真:本人提供】
フルミネンセのサッカースクールでコーチとして指導する【写真:本人提供】

若き日の柳沢を知るマジーニョは、指導者となった元同僚に感慨

 その2年後には、彼自身のサッカースクールも設立した。ただ、新型コロナウイルスのパンデミックによって休校したあとは、「生徒やその家族への感染の可能性などを考えると、個人で続けるのは不安でね」と語るとおり、再開はせずに、今はフルミネンセでの指導に戻っている。

「少年たちに教えるのは楽しいよ。サッカースクールというのは、クラブの下部組織とは違って、ボールをどう蹴る、ヘディングの仕方は、パスの出し方は…というふうに基本的なことから教えていくんだ。ここにはU-5から15までの6つのカテゴリーがあって、少年が12歳になる頃には、サッカーをする準備が整っている、という風に持っていく。

 年に一度、全国のフルミネンセのサッカースクールが集まる、スクール対抗の大会が行われるんだ。そこで良い少年がいたら、クラブが下部組織に入れる。だから、スクールの最大の目的は、少年をフルミネンセに送り込むことなんだけど、そうでなくても、いいプロ選手になってくれたら、素敵なことだよね。

 夢があるなら、その夢を追って頑張らなくちゃ。実際は子どもたちの夢というより、お父さんの夢という感じだけど(笑)。子どもたち自身は、ただサッカーするのが大好きで、楽しくて、という感じだな。でも、僕にとっても、子どもたちが選手になれるように、その準備をするのは、夢のある仕事だと思っている」

 鹿島アントラーズでは、小笠原満男がテクニカルアドバイザー、柳沢敦がユース監督を務めるなど、彼も一緒にプレーしたOBたちが、アカデミーで育成の主軸を担い、少年たちのプロ選手になるという夢を支えている。

 彼らは新人だった頃、マジーニョら経験豊富な選手たちと一緒にやっていくなかで成長し、その後、鹿島の勝者の時代を牽引した。柳沢が「影響を受けたFWはマジーニョ」とインタビューで語るなど、マジーニョが若い世代に伝えたものは大きい。

「当時、柳沢はまだ少年で、非常に高いポテンシャルとインテリジェンスを持っているうえに、謙虚で僕や長谷川(祥之)、黒崎(久志)、真中(靖夫)といったFWから懸命に学んでいた。だから、みんなの期待どおりの選手になったんだ。僕が手助けできたのは、今は出るべきだとか、キープする時だとか、試合の流れを読みながらプレーのタイミングをオーガナイズしたり、より良い形でコンビネーションを合わせられるように、2トップの動き方などを、いつも話していたことだね。

 偉大な選手になった彼が、指導者の道を歩んでいるのは嬉しいよ。クラブの下部組織では、子どもたちにも指導者にも、プレッシャーや要求されるものが大きいけど、彼の人間性は変わっていないはずだから、日々研究し、多くを教えていることだろう。そして、彼自身も幸せであるはずだ。指導者としては、僕以上の経験を積んでいるだろうけど、もし手助けが必要なら、いつでも呼んで欲しいな(笑)」

藤原清美

ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。

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