「心の半分は日本に置いていく」 C大阪創成期を支えた元ブラジル代表GKが誓った異国への想い

1995年から5年間、C大阪で守護神としてプレーしたジルマール【写真:Getty Images】
1995年から5年間、C大阪で守護神としてプレーしたジルマール【写真:Getty Images】

【あのブラジル人元Jリーガーは今?】ジルマール(元C大阪):後編――練習2日目には日本語で選手に指示

 セレッソ大阪で公式戦103試合を戦い、守護神としてチームを支えた元ブラジル代表GKジルマール。1995年からの2年半を日本で過ごし、その質の高いセービングやPK職人としての実力はもちろん、プロ意識の注入、GK練習方法の伝授など、1人の選手以上の貢献を、クラブに、そして日本に残していった。

 ブラジル代表として1994年のアメリカ・ワールドカップ(W杯)で優勝したジウマールが、そのわずか半年後に、Jリーグに加盟したばかりのC大阪でプレーするというのは、驚きを持って伝えられた。しかし、彼にとってはその達成後だったからこそ、日本で新たな挑戦を始めることに、大きな意欲を感じたという。

 そんなジルマールはC大阪が当時、まだ土のグラウンドで練習していたことにも平然していた。

「もしやりたいことがあるなら、もし勝ちたいなら、そんなことは問題じゃない。思い出すのは練習2日目のこと。日本人コーチが『地面に倒れ込むと怪我をするから、ボールに飛びつかなくていいよ』って言ったんだ。僕はきっぱり答えた。『僕はGKだよ。GKが身体を投げ出してセーブしないなんて』。実は初日にグラウンドを見たあと、すぐに膝当て、肘当て、普通より柔らかいロングパンツなどを買いに行って、準備万端だったんだよ」

 その練習2日目には、もう1つの逸話がある。ジルマールがすでに日本語を話していたのだ。

「初日、通訳のアキラ(長谷川顕氏)に『ゴールの後ろにいて、僕がポルトガル語で言う言葉を、全部メモして欲しい』と頼んだんだ。で、その日の夕食の時、それを日本語でどう言うか書いてもらって、全部暗記した。一晩中かかったけどね。翌日の練習では面白いことが起こった。ゴール付近にDF川前(力也)がいたんだけど、僕が日本語で指示を出し始めたものだから、『えっ? 誰が言ったの?』って感じで、振り向いてキョロキョロしてしまってね。そのせいでボールを奪われ、ゴールを決められそうになった。セレッソの鬼武(健二)社長も練習を見に来ていたのに、ミスさせるところだった(笑)」

藤原清美

ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。

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