ブラサカ英雄、絶望乗り越え史上初の引退試合開催へ 苦しむ人々へ光を「人生どうでもいいと」

設立した神奈川県初のブランドサッカーチーム「buen cambio yokohama」でプレーしている落合啓士の姿【写真提供:ONE CLIP】
設立した神奈川県初のブランドサッカーチーム「buen cambio yokohama」でプレーしている落合啓士の姿【写真提供:ONE CLIP】

日の丸に捧げ続けた情熱…引退後は史上初の全盲監督へ 「ずっと翼くんに憧れて」

「日本代表というものに対して僕自身思い入れがあった。小学校の頃、目の病気が発覚する前、僕はキャプテン翼世代なので、サッカーの日本代表になりたいと思っていた。ずっと翼くんに憧れて練習して、でも目の病気が発覚してサッカーを諦めなければいけなくなった。その夢がブラインドサッカーで叶った。日の丸を背負う重みは自分自身強く感じている自負があったので、毎日めちゃくちゃ練習した。練習してできるようになると嬉しい。それがハマっていったきっかけだった」

 日本選手権で4度優勝、西日本リーグMVPを2度受賞し、長年ブラインドサッカー界を牽引してきた。日本代表としてもアジアパラリンピック大会や世界選手権に出場。輝かしい経歴を残してきた落合だったが、昨年現役引退を決意した。新型コロナウイルスの影響で延期になったものの、本来昨年3月に行われるはずだった東京パラリンピック直前の世界選手権メンバーから外れた。パラリンピック出場を目指してきた落合だったが、42歳でスパイクを脱ぐ決断を下した。

 コロナ禍で苦境に立たされていたものの、セカンドキャリアは以前からの夢だった指導者の道へ進むことに決めた。現在は、昨年設立されたばかりの松本山雅B.F.C.で史上初の全盲監督として指揮を執っている。日本代表の卵を育て上げる毎日を過ごしているが、どうしても心残りがある。現役最後のピッチに立つことだ。

「今思いは大きく2つあって、引退したと同時にコロナ禍になって直接みなさんに『ありがとう』という感謝の機会を伝える機会がなかった。もう1つはこれからの視覚障碍者に道を作ってあげたいという気持ちがある。今の日本代表も、これから日本代表になる選手も、もっと言えば、これからブラインドサッカーを始める選手にも障碍者のアマチュアスポーツでも『頑張れば引退試合ができるんだ』というところを見せたい。今まで誰も考えなかったことだと思う。資金がかなりかかるので、クラウドファンディングで資金を募りたい」

「それに今年やる意味はパラリンピックイヤーということでレガシーにつながる一歩になる。引退試合のイベントではブラインドサッカーの体験会もやる予定で、目を隠ししたらみんな同じ条件でサッカーができる。もしかしたら目が見えない人の方が見える人を支えたりすることもあると思う。こういうのが共生社会につながると思うので、つなげていきたいと思ってクラウドファンディング、引退試合を決意した」

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