森保監督が貫く“変わらない強さ” 元日本代表DF千葉が語る指揮官のソウルフルな顔
【インタビュー#2】2クラブで計7年半共闘した千葉和彦が語る森保監督の素顔
日本代表を率いる森保一監督は、東京五輪の代表監督とA代表監督に就任する前はサンフレッチェ広島でコーチと監督、アルビレックス新潟でヘッドコーチとコーチ、U-19日本代表のコーチを歴任した。新潟の元日本代表DF千葉和彦は、新潟時代と広島時代の“森保一の素顔”を知る数少ない選手。「ブレない」男の熱き一面について訊いた(取材・文=Football ZONE web編集部・小田智史/全3回の2回目)。
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森保監督が新潟で2010年にヘッドコーチ、11年にコーチを務めていた際、千葉は最終ラインのレギュラーとしてプレー。そして翌12年、広島の監督に就任した指揮官を追う形で、自身も広島へ完全移籍した。
森保監督が退任する2017年7月まで、約5年半の月日をともにし、史上4チーム目となるJ1リーグ連覇を含む計3回の優勝を経験。共闘期間は不動のリベロを任され、指揮官が標榜するサッカーの中核を担った。千葉は、森保監督の選手への信頼を強く感じていたという。
「森保監督はとても律儀な方。どういった状況でも絶対にブレない。精神的な強さを持って、選手を信じている。(日本代表を率いる今も)広島の時と変わらないという印象です」
森保監督との印象深いエピソードを尋ねると、千葉は「すごく覚えていることがあります」と初優勝を決めた2012年12月のJ1リーグ第33節セレッソ大阪戦(4-1)に向けた練習での出来事を挙げた。
「僕は(累積警告で)出場停止だったので、ずっとサブ(のチーム)で練習していました。紅白戦でトップチームの選手が譲り合って、それで失点してしまった時に森保監督が全員を集めて、(1993年アメリカ・ワールドカップアジア最終予選の)ドーハの(悲劇の)話をされたんです。(2-1でリードしていた後半アディショナルタイムに)最後にコーナーキックをクイックでやられて、そのあと誰もボールに反応することができず、シュートがゴールに吸い込まれた。『あの時、もっと自分がプレーする意思を持っていれば良かった』『誰かがやってくれると思わずに、自分がやるんだという気持ちを忘れずにやろう』と。味方同士がぶつかって倒れたら、どちらかが早く起き上がったら問題ないって。ドーハを経験しているからこそ言える言葉で、すごく重みがあってみんなに響きました」