「レッズがいたから頑張れた」 元Jリーガーが貫く“浦和愛”、儚かった2年間のプロ生活

02年のサテライトリーグ、大宮アルディージャ戦の渡辺隆正【写真:本人提供】
02年のサテライトリーグ、大宮アルディージャ戦の渡辺隆正【写真:本人提供】

高校での恩師との出会い、荻野監督がきめ細かく指導

 ところが試合メンバーに初招集されたのが11月24日、第2ステージ最終節の名古屋戦だ。本職ではないボランチで、後半43分から追加タイムを含めて6分間出場。シーズン終盤のデビューだけに一日千秋の思いだったろう。それから1カ月後の天皇杯準々決勝、ジェフユナイテッド市原(現・千葉)戦では後半47分から1分だけプレーした。

 渡辺は「通用すると思った半面、途中からは難しいかなって感じ始めた。なかなか公式戦に出られず、サッカーをするのがつらくなった時期もありました」とプロの厳しさを体感した1年目を振り返った。同じく出場機会が巡ってこない早川知伸や河合竜二、鈴木啓太、千島徹らと寮の風呂で励まし合ったそうだ。

 ハンス・オフト監督に代わった2年目は一度も試合に絡めず、晩秋に契約満了を告げられると引退を決意する。公式戦出場は2試合だけで計7分間。渡辺のキャリアは線香花火のように短く、儚かった。

「性格的にプロ向きではなかったのかもしれませんね。我が強くないと駄目だし、もっと俺が俺がというものを出さないといけなかった」

 小学1年で川口市の芝園少年団に入団した渡辺は、人気漫画『キャプテン翼』を読みふけり、サッカーを生業にしようと決意する。そんな夢を身近な目標へと近づけたのが、高校での恩師との邂逅だった。

 浦和高校の前身は1896年(明治29年)に開校した第一尋常中学校で、5年後に浦和中学校となり、1940年の第22回全国中学校蹴球選手権に初出場。学制改革で浦和高校に改称され、第30回全国高校蹴球選手権で初優勝を遂げたチームは、国民体育大会と関東大会も制し史上初の3冠を獲得。高校総体が開催される15年前のことだ。選手権は第33、34回大会を連覇し3度優勝した。

 サッカー部OBには浅見俊雄・初代国立スポーツ科学センター長、犬飼基昭・元日本サッカー協会会長、村井満・現Jリーグチェアマンらがおり、浅見、倉持守三郎、藤井泰光の3氏は国際審判員を務めた。

 渡辺が入学した93年度の肩書はコーチだが、実質的な監督だったOBでもある荻野清明さんは「初めて練習に参加した時から規格外で、すべてを兼ね備えた選手でした」と振り返る。93年というとJリーグが開幕した年だ。5月初旬、荻野さんに将来の目標を聞かれた渡辺は「プロになりたい」と即答。ここからその道を切り開く練習と準備が始まり、翌年から指揮官になった荻野監督はさらにきめ細かい指導を施した。

 95年5月3日、東京・国立競技場で行われた浦和対ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)は、当時史上2位の5万6652人の大観衆を動員。このなかには、インテルを参考に作製した浦和の初代ポロ襟ユニホーム姿の渡辺もいた。数十店舗を回ってやっと手に入れたレプリカだ。この試合を見て浦和の一員としてあのピッチに立つ、という目標がより強固になったそうだ。

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河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

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