「ソンは日韓戦を楽しみに」 反町技術委員長、コロナ禍開催の3月代表戦“舞台裏”明かす

3月の日韓戦に出場した日本代表MF南野拓実(写真左)【写真:Getty Images】
3月の日韓戦に出場した日本代表MF南野拓実(写真左)【写真:Getty Images】

JFA連載コラムで3月に行われた代表戦計4試合について回顧「一番大変だったのは選手」

 日本サッカー協会(JFA)が27日、公式ホームページ上で反町康治技術委員長の連載「サッカーを語ろう」を公開した。第9回は「3月の成果を6月に生かす」と題して、先月行われた日本代表戦とU-24日本代表戦の計4試合について振り返っている。

 反町技術委員長は2001年にアルビレックス新潟で監督に就任。そこから日本代表のコーチや北京五輪代表監督を歴任し、2009年から11年までは湘南ベルマーレの指揮を執った。12年に松本山雅FCの指揮官を務め、就任3年目にはクラブ史上初のJ1昇格を達成。19年限りで松本の監督を退任した。そして、20年3月29日にJFA理事会で技術委員長への就任が決定。現在は技術委員会のトップとして、日本サッカー界を牽引している。

 今年3月に日本代表とU-24日本代表は19年11月以来、1年4カ月ぶりに国内で活動を実施。A代表は国際親善試合・韓国戦(3-0)とカタール・ワールドカップ(W杯)アジア2次予選モンゴル戦(14-0)に臨み、東京五輪世代のU-24日本代表はU-24アルゼンチン代表と2連戦(0-1/3-0)を戦った。

 コロナ禍での開催だったが、海外から入国した選手や関係者は特例で2週間の待機を免除。代表選手は国際Aマッチウィーク期間、一般社会から隔絶された「バブル」と呼ばれる環境で過ごした。反町技術委員長は厳しい対策がなされたなかでの代表戦をコラムの中で振り返っている。

「中でも一番大変だったのは選手だったと思う。動線は一般の人と完全に切り離されていたので、チームと行動をともにした私も選手宿舎となったホテルの舞台裏にずいぶんと詳しくなった。即戦力としてホテルでバイトができるのではないかと思ったくらい。ホテルの出入りは従業員用や荷物の搬入口を使い、エレベーターも非常用のものを利用した。部屋の掃除は3日に1回くらいにしてハウスキーパーと極力接触しないように努め、替えのタオルや歯ブラシは所定の場所から自分でピックアップ。合宿中はほぼ毎日、新型コロナウイルスの検査を受けた。食事も海外組と国内組は別々。時間をずらし、場所もパーテーションを立てて分け、黙食も徹底。日本の選手は本当に真面目で『黙食をお願いします』と頼めば、本当に黙食する。たまには外の空気を吸いたくなるだろうに、バブルの中での単調な毎日にじっと耐えてくれた」

 そのなかで、まずA代表が韓国に快勝。だが、JFAは「強い相手とやらないと真の強化にならない」というスタンスを取る一方で、負傷により相手のエースFWソン・フンミンの不参加が決定した。反町技術委員長は「韓国のチーム関係者によると、これまで日本で試合をしたことがないソン自身も今回の日韓戦を非常に楽しみにしていたという」と、相手エースの心情を明かしている。

 東京五輪世代のU-24日本代表はアルゼンチンと対戦。初戦は0-1と完敗したものの、2戦目では南米予選1位通過の強豪相手に快勝を演じることができた。そのなかで技術委員長として、オーバーエージ(OA)の必要性を訴えた。

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