3年で引退、元浦和DFの第2の人生 部長職で奮闘「追い付くには努力しないと」

千亜希夫人(前列中央)が営む「俊五郎」が埼玉スタジアムに出店。岡野雅行さんの妻・裕子さん(前列右)も手伝いに駆け付けた【写真:本人提供】
千亜希夫人(前列中央)が営む「俊五郎」が埼玉スタジアムに出店。岡野雅行さんの妻・裕子さん(前列右)も手伝いに駆け付けた【写真:本人提供】

「追い付くには努力しないと」、3年前に部長に昇格、夢は支店長

 固い絆で結ばれるまでの苦労は並大抵ではなかったそうだ。それでも「高校での厳しい練習に3年間耐え抜いたことを考えたら、少しのことではびくともしません。何があってもへいちゃらでした」とうなずいた。こんなところが、トップアスリートとして長らく活動してきた人の強みでもあるのだろう。

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 5年前に赴任した野田真司支店長は、全国各地の事業所ですべての職種に携わってきたが、関東支社が手掛ける新築の塗装業務は人望がないとできない難しい分野だと言う。「自分でお客様を作って工事をし、そのお客様に気に入られて次の工事をする、というように営業と工事を兼務して収益を上げないといけない。人間性と人付き合いが欠かせませんが、渡辺くんにはすべてが備わっています」と全幅の信頼を寄せている。

 仕事がきついと感じたことは一度もないが、現在大学4年の長女、高校3年の長男が幼少期の頃、ほとんど一緒にいられなかったことが一番つらかった。羽田、成田の空港施設やディズニーランド、大型商業施設を担当すると深夜業務となり、昼も夜も働いた。

「仕方ないです。みんなが苦労している時、僕は好きなサッカーをしていたわけですから、追い付くには努力しないと」

 3年前に課長から部長に昇進。夢は支店長になって、会社の本業とも言える塗装事業をさらに拡充させ、ここで定年を迎えることだ。

 やりがいを尋ねると「人って、窮地に立つと人間性がもろに出るじゃないですか。現場でいろんな職種の人を垣間見て、追い込まれた時にどうすればいいかを学んだ。サッカーと同じなんですよね」と結んだ。(文中敬称略)

河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

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