豪華メンバー揃いの磐田で見つけた生きる道 太田吉彰が名波浩から授かった“金言”

長年、磐田でプレーをしていた【写真:Getty Images】
長年、磐田でプレーをしていた【写真:Getty Images】

「同じスタイルでやり抜くことができたのはあの時の言葉があったから」

「当時のジュビロには中山さん、名波さん、福西さん、藤田さんなど本当に豪華なメンバーしかいなかった。ただ、僕がそこへ入っていった時、あの当時のジュビロでは異質というか、同じようなプレースタイルの選手はいませんでした。中盤でパスをつないで攻めるのがジュビロのサッカーでしたけど、フィジカルテストでは僕が圧倒的に成績が良かったんです。

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『やる競技を間違えたんじゃないの?』なんて皮肉を言われたこともありましたけど、そんな時に名波さんが『俺がボールを持ったら走れ。見てなくても(パスを)出すから』と言ってくれた。その言葉が今でも頭に残っています。自分はこのスタイルで生きていこうと自信が持てました。現役生活18年、ずっと同じスタイルでやり抜くことができたのはあの時の言葉があったからだと思います」

 磐田、そして日本代表の司令塔として活躍した名パサーからの“アシスト”を受け、サイドアタッカーとして開花した太田。レギュラーに定着した2005年には30試合で7得点、翌06年には32試合で9得点を挙げた。

「速さ、強さ、体力はデビュー当時から強みでしたけど、それをジュビロのサッカーにどう融合させるのか考えていた時に声をかけてくれたのが名波さんでした。現役を引退した今でもいろいろなところで声をかけてくれますし、本当に感謝しています」

15年に仙台から磐田に復帰した時に、チームを率いていたのも名波監督だ。レジェンドとの出会いが太田のキャリアを大きく変えた。

 現役を退いた今、太田は選手時代から愛用しているアスリート用のマウスガード『Neutral』の普及と、プロから大学生までサッカーだけでなく様々な競技のアスリートの選手生活を守るプロジェクトに取り組んでいる。18年間のプロ生活で経験した震災や海外挑戦、大怪我から学んだすべてのことを次の世代に伝えるために奔走している。

「自分が出場してタイトルを獲得できなかったこともあり、現役時代に残した成績には満足していないですが、悔いはありません」

 すでに未来に目を向けている。偉大な先輩に背中を押してもらったように、次は自分が誰かの背中を押す番。それが「スポーツへの恩返し」になることを信じて。(文中敬称略)

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