【金J特集】川崎MF家長昭博が憧れた中田英寿の“力強さ” 開幕戦へ独自調整「100キロ走りたい」

柔と剛を兼ね備える家長が憧れたヒーローとは?

 家長のプレーには二面性がある。信じられないほど柔らかいボールタッチを見せたかと思えば、相手の当たりを岩のような強さを持って跳ね返す。まさに柔と剛を兼ね備えた選手だ。青と黒の「41番」は、相手にとってはこれ以上なく見たくない背中であり、味方にとっては、これ以上に頼れる背中はいないだろう。

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 そんな家長にも、子どもの頃に憧れたヒーローがいた。「ヒーローの定義は分かりませんが、立ち姿とか、試合中の雰囲気とか、勝っても負けてもかっこいい人。そういう人は、子どもの頃に目で追っていたり、真似をしたり、その人と一緒の背番号を付けたりしましたね」。

 家長少年が憧れたのは、日本代表として活躍し、欧州で初めて大きな成功を収めた日本人選手である中田英寿だ。「小学校の時は、中田さんに憧れて7番を付けていました。大柄な選手に当たられても負けなかったり、相手にファウルされても、何事もなかったように立ち上がって走り出したり、あまり日本にいないタイプだったと思います。力強さ、闘争心の出し方など、憧れた記憶がありますね」

 家長がプロデビューした2004年、中田はまだ現役で活躍していた。だが、その後も海外でプレーを続け、29歳の若さで現役を引退したため、家長は憧れの存在と同じピッチに立つ機会はなかった。

「簡単に倒れたらダメなんだとか、フィジカルコンタクトで小さいから負けていいとか、日本人だからそういうことに向いていないという概念は捨てないといけないなと思うようになりました。中田さんは、大きい選手や海外の選手が相手でも、球際とかフィジカルコンタクトに秀でていたので。そういうところは影響を受けましたね」

 もう1人、プロになってからの家長に大きな影響を与えたヒーローがいる。ガンバ大阪でチームメートだった遠藤保仁(現・ジュビロ磐田)だ。

「プロになってから憧れたのは、ヤットさんですね。ユース時代は正直、プロの試合をそんなにちゃんと見ていなかったので、知識もなかったのですが、初めてチームメートになって、『すげーな、この選手』『プロってこんなに上手いんだ』と感じたのが、ヤットさんでした。その影響も受けていると思います」

 そして家長は川崎にとってのヒーローとして、昨季まで18年間クラブ一筋でプレーした中村憲剛の名前を挙げた。

「やっぱり川崎のアカデミーから上がってくる選手だったり、川崎に加入する選手たちにとっては、憲剛さんに対する憧れ、リスペクト感は凄いんです。そういうアイコンのような選手だったと思いますね」

 中村のラストイヤー、数々の偉業を成し遂げた偉大なレジェンドを送り出すかのように圧倒的な強さを示した川崎は、「Jリーグ史上最強チーム」とも称される。その一員だった家長は「実感ないですね。全然、実感ないです」と笑いながら、そのチームをさらに前進させる覚悟を口にする。

「実感ないと言いましたが、後々見ると、勝ち点とか得点数も凄かったなと思います。でも、やっていた時は分かりませんでした。でも、それを超えていかないといけないと感じていますし、そういう高い目標に向かっていく意味があると思うので、頑張りたいです」

 Jリーグ史でも稀に見る強さを見せつけてタイトルを獲得した昨季の川崎。今季の川崎が挑むのは対戦相手ではなく、「歴代最強」とも称される自分たち自身でもある。そんなチームが、そしてその中心にいる家長昭博が、どんな第一歩を踏み出すのか。開幕戦は、そのお披露目の場となる。

[プロフィール]
家長昭博/1986年6月13日生まれ、京都府出身。ガンバ大阪ユースから、トップチームに昇格。大分トリニータ、セレッソ大阪を経て、スペイン1部リーグのマジョルカへ移籍。その後、蔚山現代を経て、ガンバ大阪に復帰。2014年には大宮アルディージャへ移籍し、2016年にはクラブ最高順位の5位に導く。その活躍を受けて、2017年に川崎Fへ移籍。最終節の大宮戦では2アシストを記録し、クラブのJ1初優勝に貢献した。翌シーズンは川崎の連覇に貢献し、リーグMVPとベストイレブンを受賞。2020年には在籍4年で3度目のリーグ優勝に貢献した。

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