【独占手記】現役選手のまま他界した久光重貴、四十九日に寄せて 「今もヒサとは『共に』戦っている」

左が久光重貴さん、右が現役当時の鈴村拓也【写真:勝又 寛晃】
左が久光重貴さん、右が現役当時の鈴村拓也【写真:勝又 寛晃】

次々と目標を掲げて有言実行で達成、ヒサが示した姿勢は立派だった

 ヒサと話をして、オレは自分の復帰戦を2カ月後の9月にスケジュールされていたデウソン神戸と湘南ベルマーレの試合にすることに決めた。正直、戻れる保証もなかったし、間に合うかも分からなかったけれど、ヒサには「絶対にそこで復帰をするから」と伝えて、自分の退路を断ち、がんを克服してピッチに戻れることを示したかった。唾液がまったく出ない状態になったので、それまで口にしたことのなかったガムを噛みながら、懸命に走った。「ヒサと約束をした以上、それは成し遂げないといけない」。ヒサを応援したい気持ちが、自分にとっても大きな後押しとなっていた。

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 そして9月の復帰戦、オレはピッチに立つことができた。ヒサも試合を見に来てくれて、オレの復帰を喜んでくれた。あの日から「共に」という言葉と一緒に、オレのキャリアが再スタートした。ヒサもがんと戦いながら、ピッチに立ち続けた。僕は一足先に現役を引退して監督となったけれど、今もヒサとは「共に」戦っているつもりだ。

 ヒサは、がんを宣告された時に、医者にすぐ「僕、いつ復帰できますか?」と聞いたと言っていた。僕も全く同じだった。競技をする選手を目指していいのか。引退をしないといけないのかは、大きな悩みだった。あらためて自分がどれだけプレーをしたいのかが実感できたし、そんな時に「復帰を目指して頑張りましょう」と医師に言ってもらえたことは大きな支えになった。周囲も支えてくれて、自分がプレーできる環境を整えてくれる。そうすると、何も考えず、治療やプレーすることに専念しないという覚悟できた。突然、大好きなフットサルができなくなるという経験をした者にしか分からない、プレーができる喜び、それに伴う責任と信念、そして何より応援してくれる人への思いを強く持って、自分も、ヒサも、ピッチに立っていたと思う。

 ヒサがピッチに戻ってきてからは、ピッチ外での活動も一緒に取り組んだ。2人で「フットサルリボン」の活動をはじめ、小児がんの子供たちへの支援、フットサルが好きな人へのがんの啓蒙活動などに精力的に取り組んだ。「病院に入院し続ける子供たちは、本物の新幹線も、飛行機にも乗ることができない。本物を知らないことが多いんです」。そんなことを言われたヒサは、「本物を見せてあげたい」と言い、病院の地下にある体育館に現役のFリーガーを集めて、真剣勝負を見せてあげたりもした。本当は昨年もやる予定だったその活動は、新型コロナウイルスの影響でできなかったけれど、この状況が収まったら、今後も必ず続けたいと思う。

 ピッチ内外で、ヒサが示した姿勢は立派だった。「試合に復帰するんだ」「ゴールを決めるんだ」「結婚するんだ」「家を持つんだ」。次々と目標を掲げて、それを有言実行で達成していった。周りからすると「きついだろう」という目標を達成するためには、意思とか、気持ちがなければ、体は動かない。本当にヒサは逃避することがなかったと思う。「夜中に平塚周辺を走りこんでいる姿を見ましたよ」なんていう目撃談も聞いたことがあったからね(笑)。本当にすごかったよ。

 自分は指導者の道という新しい目標を見つけて、2016年で現役を引退した。引退までにヒサとは3試合、戦うことができた。一番印象的なのは、引退まで残り2試合という時に実現した小田原アリーナでの対戦だ。とても感慨深かったと同時に、『今度は小田原アリーナで、ヒサが所属している湘南ベルマーレと監督になって対戦する』という目標を掲げた。自分が神戸をFリーグ・ディビジョン1に昇格させることができていれば、実現できていただけに、対戦できなかったことは心残りだ。

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