18歳で死の危機に直面…指定難病から“奇跡の復活” 海外日本人MFが不屈の魂で追う幼き日の夢

最低3カ月かかるといわれていたものの、はるかに上回る1カ月で退院を迎えた【写真:本人提供】
最低3カ月かかるといわれていたものの、はるかに上回る1カ月で退院を迎えた【写真:本人提供】

つらい闘病生活を乗り越え、「最低3カ月」の見立てをはるかに上回る1カ月で復活

 検査後に診察室へ入ると、伊藤は医師から開口一番「入院」を言い渡され、自己免疫疾患からくる視神経脊髄炎と脳炎だと伝えられた。

「診察室にMRIの写真がたくさん貼られていて、脊髄全部が炎症していると伝えられました。炎症すると白く映るらしいんですが、本当に上から下まで脊髄が全部白くて、脳の言語関係を司る箇所にも少し炎症が起きていました。先生から『もう少し遅れていたら死んでいました』と言われて、さすがに堪えました。こんな簡単に死ぬと言われることなんてあるんだ、と。いつ死ぬかなんて誰にも分からない。本当に絶望でした」

 伊藤は即座に入院となり、ストレッチャーに乗せられて病室のベッドへ。1カ月間の闘病生活が始まった。治療は点滴投与で行われたが、免疫抑制剤の副作用に悩まされることになる。

「入院中に飲んでいたプレドニンという薬は、副作用がとにかく多くて……。一番嫌だったのはニキビ。18歳と思春期だったので、朝起きて、歯磨きをする時にパンパンに丸くなってニキビだらけの顔を見て、自分が嫌になりました。代謝が上がって食欲増進になり、病院食のカロリーでは足りなくて、ご飯を食べても1時間したらすぐにお腹がすいてしまうのもしんどかったです。全身が痒くなる敏感肌、糖尿病、鬱にもなって、目に見えない恐怖で『いつ死のうかな』と考える日もありました」

 闘病生活はつらいものだったが、不幸中の幸いだったのは成人前の発症だったため、治療ができたこと。そして、当初は治る目途が立つまで最低3カ月と伝えられていたなかで、1カ月で病状が落ち着いて退院できたこと。伊藤自身、再びサッカーをやるんだという希望を捨てずに済んだと明かす。

「入院して2日目くらいにサッカー部の監督が病院に来てくれて、復帰できるまでどれくらいかかるかという話になった時、2か月後の京都インターハイ予選は諦めて、選手権を目指して頑張ろうと言われました。でも、僕は悔しい思いをしたインターハイに絶対出てやろうと思いました。歩くのも難しくて車椅子だったのに、1カ月後には退院できて先生も看護師さんも驚いていましたね。先生からは『大人になっていたら治らない』と言われて、当時18歳だったので今も決まった時間に薬は飲んでいますが、再発もないし、体調は全然大丈夫です。もちろんつらかったけど、僕の中でトラウマとかコンプレックスになるほどネガティブな出来事ではないと思っています」

 不屈の闘志とともに、伊藤は再び大好きなサッカーをプレーすべくピッチへと舞い戻った。

(後編に続く)

※取材はビデオ会議アプリ「Zoom」を使用して実施。

(FOOTBALL ZONE編集部・小田智史 / Tomofumi Oda)



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