内田篤人に魅了されっぱなしだった 何度もハッとさせられたシャルケ時代の“理知的な言葉”

メンバー外になっても報道陣への気配りを忘れなかった

 思えば内田は世界で戦いながら、いつでも日本のことを気にかけていた。2012-13シーズンのCL決勝トーナメント1回戦で、トルコのガラタサライに敗れた時のことだ。負けたことも悔しいが、それ以上にこの試合に期する思いがあった。この日が行われたのは3月12日。その2年前に起きてしまった東日本大震災の被災地で暮らす人のためにも、勝って希望を届けたかったとこぼした。海外からの支援がもらえるように、自分はドイツで頑張らないと、と。

「日本人が頑張っているところをね、(CLに)残ってるの、俺だけだし。(小笠原)満男さんと行ってるしね。満男さんもグラウンドを作ったりしてるから、自分も何かできればいいなと思って、(吉田)麻也と一緒に行きましたけど。今日の結果と震災を結びつける必要はないと思うけど、やっぱり応援してくれる人がいるんで、勝ちたかった」

 そして内田は人を大切にする。海外で相手チームの選手を「エトーさんが」とか、「スナイデルさんにつないでくるから」とか、“さん付け”で呼ぶのは内田くらいではないだろうか。試合後には「あの選手、けっこう凄いよね」と、相手チームの選手を褒めたりすることが多かったのも印象的だ。

 試合に出ない時でも、それこそメンバーから外れた時でも、ミックスゾーンに顔を出して報道陣とちょっとでも話をしてくれる。その気配りにどれだけ多くの人が助けられたことか。自分の言葉を待っている人のために、自分ができることをできる範囲できちんとやる。だから、こちらも取材に行ける日はいつでも、「今日はどんなことが聞けるんだろう」と楽しみでしょうがなかったことを思い出す。

 まったく、プレーヤーとしても、そして人間としても、僕らは内田篤人に魅了されっぱなしだった。

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中野吉之伴

なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)所得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなサッカークラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国への現地取材を精力的に行っている。著書『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。

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