【THIS IS MY CLUB】「浦和のために何ができるか」 クラブ創設時から知る土田SDと“ホームタウン”の絆

浦和レッズの土田尚史スポーツダイレクター【写真提供:浦和レッズ】
浦和レッズの土田尚史スポーツダイレクター【写真提供:浦和レッズ】

【土田尚史SDインタビュー|第1回】1992年のクラブ創設からGKとして活躍、自身に刻まれた“浦和愛”

 2月の開幕戦を戦った後、約4カ月にわたって中断していたJ1リーグがいよいよ再開の時を迎える。新型コロナウイルスの影響により、無観客の“リモートマッチ”での開催となるが、サッカーのある日常が戻ってくることに心躍らせる人は多いはずだ。

 再開を前に、Football ZONE webも参加している「DAZN Jリーグ推進委員会」では、J1からJ3までの全56クラブの選手やスタッフを対象に「THIS IS MY CLUB – FOR RESTART WITH LOVE -」と題したインタビュー企画を実施。浦和レッズからは土田尚史スポーツダイレクター(SD)に登場してもらい、今後の強化ビジョンなどを語ってもらった。第1回では現役時代から浦和一筋で過ごす同氏が、愛する地域への思いを明かした。

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 浦和レッズは昨季、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)で準優勝したものの、リーグ戦では最終節まで残留が確定しない苦しい戦いを強いられた。その結果を受けて昨年12月にトップチームの強化責任者に就任した土田尚史SDは、「浦和をホームタウンにしていることには責任があると言い続けてきて、これからも言い続ける」と、その関係性を語る。

 土田SDは1992年のクラブ創設時からGKとして現役時代を過ごし、2000年に引退した翌年からGKコーチに。19年はクラブのホームタウン関連の部署で過ごしたが、強化責任者のポストとして現場に近い場所へ戻った。

 新型コロナウイルスの感染拡大は、社会情勢を一変させた。強化責任者となった1年目に、誰もが経験のない事態に直面した土田SDだが、「浦和という場所、街との距離感がだんだん開いていっているのではないかと感じていたところだったんですが、コロナの影響でいろいろなことを考える時間になったと思う。そのなかで様々な活動を選手たちが自らやってくれたのが本当に嬉しい」と話す。例えば、MF阿部勇樹はさいたま市防災行政無線のアナウンスに協力したし、MF宇賀神友弥は地域の飲食店を頻繁に自身のSNSで紹介してキャンペーンにも協力した。他にも個人レベル、複数人の選手レベルと様々だが、地域社会との関わりで協力し合う姿があったのは間違いない。

「浦和をよりよく見る。そういうタイミングだったんだと思います。何ができるか、何をしないといけないかを深く考える時間だったのだと。今度はそれをピッチで表現しないといけない。スローガンとして掲げている『浦和のために最後まで走り、闘い、貫く』。簡単だけど、あんなに重い言葉もないですよ。それを考える時間だったはずです」

 土田SDは地域との関係について、「自分たちが現役の時、選手が当たり前のように浦和の街にいたし、食事もしたし、サポーターと時間を共有したので。それと比べると少し距離が開いているかな」という肌感覚を話す。その重要性を強調するのは、現役時代のそうした関係性によって浦和でプレーすることの責任を強く自覚することになったからなのだと話している。

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