中島翔哉が触れば“何かが起こる” 唯一無二の才能も…日本代表にとっては「諸刃の剣」

オフト時代のラモス瑠偉と「ポジション逸脱の功罪」

 過去の日本代表を振り返ると、常に中島のタイプはいた。攻撃の全権を握れる力量の持ち主で、その選手がいるといないではチームの攻撃力が変わってくるが、ポジションを越境していく構成力があるだけに守備のバランスも常に崩れる。

 岡田武史監督の時(2008~10年)の中村俊輔は、中島とよく似ている。DFやボランチの近くまで引いてパスを受け、そこから攻撃を始動させていた。中村には中島の速さはないので、一気に敵ゴールへ迫る勢いはなかったが、丁寧にゲームを作っていた。中村が引いて空けた右サイドには、(右サイドバックの)内田篤人が進出。右を攻略できなければ、中村からの正確なサイドチェンジで局面を変える。このあたりは現在の中島とそっくりだった。

 W杯直前まで中村を軸とした攻撃はよく機能していたのだが、最終的に中村の自由さが生む歪みを補うことができず、方針変更を余儀なくされている。

 中村と内田が前へ出ているので、カウンターを受けた時は日本の右サイドは穴になっていた。センターバックとボランチでカバーできればいいのだが、中澤佑二と田中マルクス闘莉王は代表史上屈指のコンビながら、スピードはない。(ボランチの)遠藤保仁と長谷部誠も守備のスペシャリストではなかった。

「ドーハの悲劇」と呼ばれる1993年10月のアメリカW杯アジア最終予選のイラク戦(2-2)だが、日本が勝っていればむしろ「ドーハの奇跡」だった。内容的にはイラクが勝つべきゲームだったからだ。

 セントラル方式の最終予選、日本は2試合を終えて1分1敗と後がなくなり、残り3試合をすべて勝つために4-4-2から4-3-3へシステムを切り替えている。最後のイラク戦も、ミーティングルームに残された布陣は4-3-3だ。しかし、実態は4-4-2に近い柔軟な運用になっている。3トップは長谷川健太、中山雅史、三浦知良(カズ)。MFは吉田光範、森保一、ラモス瑠偉だが、右ウイングの長谷川はMFとの兼任で、トップは右が中山、左がカズと棲み分けている。このチームの「中島」はラモスだ。

 ヴェルディ川崎(現・東京V)では左サイドを起点に中へ入り、さらに右サイドまで出て行くスケールのある構成力を見せていた。ただし、日本代表のハンス・オフト監督がポジションの逸脱を嫌っていた。「自由ではない」「ぐちゃぐちゃにするな」とプレーエリアを限定していた。ラモスのエリアは、左のハーフスペースから中央までだ。

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西部謙司

にしべ・けんじ/1962年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌の編集記者を経て、2002年からフリーランスとして活動。1995年から98年までパリに在住し、欧州サッカーを中心に取材した。戦術分析に定評があり、『サッカー日本代表戦術アナライズ』(カンゼン)、『戦術リストランテ』(ソル・メディア)など著書多数。またJリーグでは長年ジェフユナイテッド千葉を追っており、ウェブマガジン『犬の生活SUPER』(https://www.targma.jp/nishibemag/)を配信している。

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