元浦和ワシントンが語る日本での「思い出3選」 “最高のサポーター”と喜んだあの瞬間

2007年にはワシントンの活躍もあり、浦和レッズがACLを制した【写真:Getty Images】
2007年にはワシントンの活躍もあり、浦和レッズがACLを制した【写真:Getty Images】

監督との確執もあり2007年限りで退団「難しかった」

 もちろん、悔しい思い出もある。ACLを制した2007年、J1リーグで連覇を狙っていた浦和は首位を独走していたものの、終盤に失速して鹿島アントラーズにタイトルを奪われてしまった。ワシントン自身、ホルガー・オジェック監督との確執が話題にもなった年だ。

「僕も監督業を始めたんだ。そのなかで『ロッカールームでの仕事』、監督と選手の関係作りは大事なことだと思っている。もちろんオジェックも素晴らしい監督なんだけど、僕らにとっては難しかった。でも、チームには素晴らしい選手たちがいたんだ。日本代表も含めて、クオリティーの高い選手が多かったし、前年からのチームワークやコンビネーションができ上がっていた。それで、多くの勝利を手にすることもできた。

 クラブワールドカップを戦う前に、僕ら選手たちは話し合って、頭を切り換えたんだ。Jリーグでの敗戦を引きずるのはやめて、もう一度、結束を高めよう、勝つことだけを考えようってね。そして、サポーターも大きな力になってくれた。試合中、僕らの名を呼び、歌ってくれた。そうやって、世界3位を達成することができたんだ」

 2007年限りで浦和を去ってから約8カ月が過ぎた頃、ワシントンのために、彼が日本で開設していたブログをチェックしたことがある。そこでは、彼自身の最後の投稿後も、本人の気付かないうちに2000人を超えるサポーターがコメントを寄せ続けていた。

「ワシントンさんのプレーを見て、何度も勇気をもらいました」
「俺たちは一生ワシンのことを忘れないよ。どこにいようが俺達は仲間だぞ!!」
「ワシのレッズでのゴール集を見てるとホントに胸が熱くなる。いいボールが来ないからとか、連携がダメだからとか、なんかそんなの関係なくてオレが決める!! っていう気迫が伝わって、見るたび涙が止まらない」

 ワシントンを恋しく思い、語りかけるコメントの翻訳を聞きながら、彼は泣き出してしまった。

藤原清美

ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。

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