ある日海外から届いたオファー「是非」 仕事を辞めてドイツへ…田中碧を支える“栄養士兼シェフ”

奥隅知里さんは田中碧の管理栄養士兼シェフを務める
“選手を支える”という名目で行けば、トレーナーやパーソナルコーチ、マネジメントなど、そのサポート業務は多岐にわたる。イングランド・プレミアリーグのリーズに所属する日本代表MF田中碧をサポートする人物の中に、一人の日本人女性がいる。奥隅知里。彼女が担うのは、管理栄養士兼シェフ。なぜ彼女はこの仕事にたどり着いたのか。選手をサポートする仕事について話を聞いた。(取材・文=林遼平/全3回の1回目)
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プロ選手がサポートを求める中で、よく聞くのが栄養士やシェフという職務だ。選手の食事に必要な栄養を設計するのが栄養士で、それを調理して毎日食卓に出すのがシェフの役割と言っていい。ただ、管理と提供を一人でこなすスタイルは、ヨーロッパではあまり見られないという。シェフを別に雇い、栄養管理は栄養士に任せるという分業のケースが多いからだ。
「栄養士でシェフも担う人はいますが、一人が現場に張り付きで全ての業務を一貫している人はあまりいない気がします。シェフはやってるけど栄養面は別のアドバイザーが入っているなど、そういうのは結構聞きますね」
では、なぜ奥隅さんはその希少なポジションにたどり着いたのか。話は、彼女がまだ高校1年生だった頃まで遡る。
志望校・志望学部を決めなければならない時期に、奥隅さんは興味のあるキーワードを片っ端から検索した。食事と運動。その二つに行き着いた時に出会ったのが、「スポーツ栄養士」という仕事だった。
「当時、スポーツ栄養という言葉はあまり浸透していないところがあって、大枠で言えば、アスリートの栄養管理や栄養サポートみたいな感じです。そこに興味を持ちました。高校や大学の時は学生ながらそういう活動をしたりしつつ、ずっとスポーツ栄養に関わっていました」
社会人になってからは、個人でさまざまな選手と契約し、パーソナルの栄養サポートを続けた。サッカー選手だけでなく、陸上、バスケ、ダンス競技の選手まで。プロからジュニアまで、競技やカテゴリーにこだわりはなかった。
「自分が力になりたいなと思える人、力になれることがあるなと思う人と契約するのが軸にあったので、競技や年代、レベルなどには本当にこだわりがありませんでした。その面で絞って動くことはなかったですね」
一般的なイメージとして”栄養士”と聞くと、栄養を管理する人を思い浮かべる人が多いだろう。栄養のアドバイスをしたり、献立を考えたり。そういうものが中心となってくる。ただ、奥隅さんは自分が考えた栄養を料理に落とし込み、それを実際に食べてもらうというプロセスが好きだった。だからこそ、両方を一緒にサポートできるような機会を探していた。
「日本にいた頃はいろいろな選手をサポートしていたんですが、栄養指導だったり、サプリメントの管理だったり、そういうものだけをやってる選手もいれば、食事提供をメインでやってる選手、どっちもミックスでやってる選手もいました。一つの栄養サポートと言ってもいろいろな関わり方をしていて、その中で全部できることの楽しさ、面白さみたいなのをすごく感じていました。そういう全部できる仕事をやりたいなと思っていたんです。なおかつ海外にも興味があって、海外で頑張ってる日本人選手の力になるのは素敵なことだな、自分の能力を最大限活かせるんじゃないかと考えていました」
「チャレンジしてみたい気持ちが一番大きかった」
そんな奥隅さんに、日本代表でプレーする田中碧のサポートの話が届いたのはある日、突然のことだった。海外でそういう仕事がないかと周囲に伝えていたところ、共通の知人を通じて、当時ドイツ・デュッセルドルフでプレーしていた田中に話がつながった。
紹介された条件を聞いた時、奥隅さんは「是非」と答えた。
「彼は食に対してすごくこだわりが強くて、そのこだわりにいかようにも応える食事を提供できないかなと。でも、美味しくないと意味がないじゃないですか。そういうところを、自分のこれまでやってきた経験や知識を総動員させて、彼の力になるということにチャレンジしてみたいと思いました」
特定のスポーツ選手に対する世間的な先入観を持っていなかったため、当時、田中のことは知らなかったという。有名だから、代表選手だからという理由で決めたわけでもない。むしろ、「とりあえずご飯を作ってくれる人を探してるぐらいだったら就いていなかったと思います」と奥隅さんは言い切る。選手側から求められるレベルが高かったからこそ、やってみたいと思えた。
日本でのすべての仕事を辞め、ドイツへ渡った。その時の心境を「覚悟」という言葉で表現しようとすると、奥隅さんは少し首を振った。
「そんな強い“覚悟”みたいなものはあまりなかったと思います。もう行きたいから行くみたいな。自分がやったことのないことだったので、チャレンジしてみたいという気持ちが一番大きかったです」
ただ、その言葉は決して無計画な飛び出しを意味するものではない。見知らぬ異国の地で、世界を相手にするトップアスリートと対峙する。彼女が抱いていたのは、覚悟というより、本気でやり切る、という静かな決意だ。
栄養管理もシェフも、両方やりたい。そういう仕事を海外でやってみたいーー。自分が積み上げてきたものをすべて使える場所に、たまたま出会えた。奥隅さんはそう言って、少し笑った。
ただ、仕事が始まってみると、「たまたま」という言葉では収まりきらないほど、田中碧という選手は食に対して本気だった。

林 遼平
はやし・りょうへい/1987年、埼玉県生まれ。東日本大震災を機に「あとで後悔するならやりたいことはやっておこう」と、憧れだったロンドンへ語学留学。2012年のロンドン五輪を現地で観戦したことで、よりスポーツの奥深さにハマることになった。帰国後、サッカー専門新聞『EL GOLAZO』の川崎フロンターレ、湘南ベルマーレ、東京ヴェルディ担当を歴任。現在はフリーランスとして『Number Web』や『GOAL』などに寄稿している。




















