元ブルガリア代表DFが急逝 栄光の1994年W杯4強メンバーの一人

伊紙報じる 50歳の若さでイバノフ氏が心臓発作により死去
躍進したブルガリアの栄光を知るメンバーの一人がこの世を去った。1994年のアメリカ・ワールドカップ(W杯)でブルガリア代表DFとして活躍したトリフォン・イバノフ氏が、心臓発作によって亡くなったとイタリア紙「ガゼッタ・デロ・スポルト」が報じている。
94年W杯のブルガリア代表は、まさに同国サッカー史上で栄光に包まれた記憶になっている。まず、出場自体が奇跡的なものだった。勝利が義務付けられていた欧州地区予選の最終戦、敵地でのフランス戦でブルガリアには勝利以外に本大会出場の可能性がなかった。1-1で推移した後半アディショナルタイム、カウンターを仕掛けたブルガリアはFWエミル・コスタディノフが豪快なシュートを決め、逆転で出場権を得た。同年に日本代表が経験した「ドーハの悲劇」と同様に、フランスのサッカーファンの間では、今でも「パリの悲劇」として語り継がれている。
本大会でもブルガリアは見事な戦いを見せた。初戦のナイジェリア戦を0-3で落としたものの、続くギリシャ戦を勝利。グループリーグ最終戦では、禁止薬物の使用により“英雄”MFディエゴ・マラドーナが大会から追放されたショックに揺れるアルゼンチンを破り、決勝トーナメントへ進出した。
ベスト16で対戦したのは、試合展開次第でFWも務める異色のGKホルヘ・カンポスを擁するメキシコ代表。このゲームをPK戦の末に制したブルガリアは勢いに乗り、準々決勝では前回王者ドイツを破る大金星を挙げた。後半にMFローター・マテウスにPKで先制点を許したものの、後に同年のバロンドールを受賞するエースFWフリスト・ストイチコフのゴールなどで2点を奪い逆転。ワールドカップ史上に残る番狂わせを演じた。
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