ドイツ3部で戦う日本人アナリストの挑戦 “W杯優勝”を支えた男が抱く新たな夢とは?

浜野が抱く大きな目標、プロサッカーコーチライセンス獲得の夢

 ヤンセンは同シーズン冬にザンクト・パウリを解任され、次の就任先が当時4部リーグ所属のビクトリア・ケルン監督だった。ヤンセンはその時に、ザンクト・パウリからパトリック・グリュックナーという指導者をアシスタントコーチとして招聘している。浜野は自らも暮らすケルンに2人が来たことで、また連絡を取っていたが、ある時ヤンセンから「来季アナリストにお前を入れようと思うけど、どう?」という申し出を受ける。すぐに「ぜひ!」と返事をしたものの、その後しばらく連絡がなかったのだが、今度はグリュックナーのほうから「準備はできているか?」という連絡が飛び込んできた。

「なんでアシスタントコーチから?」と思っていた浜野だが、ヤンセンがブルーノ・ラッバディア監督のアシスタントコーチとしてヴォルフスブルクへ移籍することが決まったため、グリュックナーが監督に昇格していたのだ。

「グリュックナーから連絡が来る前に、実は他クラブのU-15チーフと面接もしていて。ただケルンからだと遠いし、ドアtoドアで1時間半くらいかかる。それに、そこからU-18やU-19の指導者になれるのかな、という気持ちがあったんです。あんまりイメージできなかった。ビクトリア・ケルンだと40分くらいで行けるし、金銭面などの条件も良かったというのもありましたし」

 だが、それだけが理由ではない。浜野には大きな大きな目標があった。20年以上、日本人指導者の誰も果たしたことがない夢――。それはドイツ最高峰の指導者ライセンス、プロサッカーコーチライセンスを獲得することだ。それを叶えるために、次のステップに進むためには、ビクトリア・ケルンでの挑戦に懸けることが一番の道だと決断したのだった。

(第2回へ続く)

(中野吉之伴 / Kichinosuke Nakano)



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中野吉之伴

なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)所得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなサッカークラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国への現地取材を精力的に行っている。著書『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。

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