大迫勇也がドイツに挑戦した理由 「これが本音かな」

ドイツ行きを決めた知られざる“本音”

 もう1つの理由は、どちらかと言えば消極的かもしれない。だが、これは傷を負った者にしか分からない領域である。本人は“保険”という言葉を使いながら話し始めた。
「もしW杯メンバーに選ばれなかったとしても、ショックは受けるだろうけど、すぐに前を向けると思うんだよね。新しい環境でやるべきことは多いし、こっちで結果を残して、上(より格上のクラブへの移籍)を目指すという目標に切り替えることができる。これは“保険”なんだけどね。実はこういう考えもあった。誰にも言わなかったことだけど、これが本音かな。
 あのままJリーグに残って、そして落ちたら、後悔しか残らないと思うんだよね。ロンドン五輪のように、なかなか気持ちも切り替えられない。でも、こっちでやることはやって、それでも落ちたなら、それはしょうがない」
 年が明けて今年1月、大迫は周囲の反対を押し切る形でドイツへと渡った。両親は本人の決断を尊重し、最終的に折れた。
 1860ミュンヘンでは、移籍後初戦となった2月10日のデュッセルドルフ戦で初得点を挙げると、W杯までの15試合で6得点と結果を出し続けた。強豪と言えるクラブではないため、ボールがなかなか回ってこない中でもチームの得点源になった。
「落ちたら落ちたで、しょうがない」という心境で、W杯前の日本代表メンバー発表を迎えることができた時点で、彼の目的は1つ達成したと言える。5月12日、アルベルト・ザッケローニ監督の口から、最後となる23番目に名前が読み上げられた。イタリア人にとっては発音が難しいのか、1度目は「ヨーザコ」と呼ばれ、あらためて読み直されたが、間違いなくメンバー入りを果たした。
 ロンドン五輪落選の悔しさからはい上がり、失敗を恐れず攻めた。時に守りの気持ちも交え、走り続けたこの半年。メンバー選出という結果に「良かった、良かった」と飛び出した言葉も本音だろう。だが、それに続く言葉はもっと深く、腹の底から発せられたものだった。
「これからだから。俺の場合。そうだよね?」

(※サッカーマガジンZONE2014年6月発売号に掲載)

サッカーマガジンゾーンウェブ編集部●文 text by Soccer Magazine ZONE web

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