日本サッカー界も笑えない高校野球の“登板回避”問題 「勝利至上主義」は指導現場に蔓延
未来への投資に「ノーリスク」は絶対条件 日本の高校スポーツは大きく立ち遅れている
全国高校野球選手権の岩手県大会決勝戦で、エースの佐々木朗希投手の登板を回避させた大船渡高校・國保陽平監督の決断が賛否両論を呼び起こした。特にTBSの番組で、元プロ野球選手の張本勲氏が「怪我が怖ければ辞めればいい」と発言したことが否定派の急先鋒として取り上げられ、多くのメディアは持論を明らかにせず、それを否定するMLBシカゴ・カブスのダルビッシュ有投手との舌戦を面白おかしく取り上げた。
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だがサッカー界も、この野球界の滑稽な構図を「対岸の火事」とは笑っていられない。
日進月歩でプロの国際競争が行われているサッカー界なら、育成段階に限らず、クラブにとって未来の投資商品である選手のプレーの是非は「ノーリスク」が絶対だ。例えばバイエルン・ミュンヘンはかつて、小指の爪に傷が入ったエースのフランク・リベリーに、メディカルがプレー許可を出さなかったそうだ。まず頂点にプロがあるクラブなら、選手の出場の是非を決めるのはメディカルで、逆に監督に口を挟む権利はない。野球に限らず、日本の高校スポーツは、まずその根本からして大きく立ち遅れている。
もっともそんな欧州も、かつては故障した選手に無理を押してプレーをさせていた時期があった。そもそも途中交代が許されない時代もあり、1960年欧州選手権(EURO)の準決勝で元ユーゴスラビア代表のイビチャ・オシム(元日本代表監督)は、ひどい故障でプレーができないのに試合終了までピッチに立ち続けなければならなかった。
「とても人道的とは言えなかった」
自身もそう振り返っている。
つまり選手に対して「ノーリスク」を貫く姿勢は、日本とは比較にならない膨大な失敗例を見てきた欧州の進化の証だ。それは故障に関してだけではなく、どんなトレーニングが効率的なのか、さらに言えばスポーツとどう向き合うべきかも含めて、おびただしい数の検証と議論を繰り返してきた成果とも言える。
先日、長く東京学芸大学で指導と研究を進めてきた瀧井敏郎氏に取材をする機会があったが、2003年に日本サッカー協会(JFA)の特任理事に就任した際に「エンジョイ」という言葉を用いて、サッカーファミリーを広げ、みんなで楽しむことの大切さを提唱したところ、「いつからそんなに甘くなったんだ」という声が出たそうである。
加部 究
かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。