日本代表が露呈した「対応力、修正力」の未熟さ 最後まで現れなかった“救世主”

日本代表を率いる森保監督【写真:田口有史】
日本代表を率いる森保監督【写真:田口有史】

森保監督が課題を指摘 「速攻と遅攻の精度を上げないといけない」

 実際、森保監督は試合後の会見で大会前に負傷離脱した中島翔哉の名前を出すなど、チーム作りにおいて誤算もあったことは想像に難くない。小林悠や鈴木優磨、三竿健斗、守田英正らも負傷により代表を辞退した。その代わりと言っては失礼かもしれないが、塩谷司は複数のポジションができる選手だけに、ボランチ争いを激化させる“新たな発見”だった。

 最後に森保監督は今大会を振り返り、日本代表の攻撃陣の課題について、次のように指摘した。

「すべてを上げていかないといけないと思います。チームとしての連係、連動もそうですし、個の力もさらに上げていってもらわないといけないと思います。今日の戦いのなかで、0-2になって特に相手に引かれたなかで点を取りにいく。相手もスペースを与えてくれないなかで点を取りにいく。もっと多くの違う形で攻撃ができると思っていました。(今後は)引かれた相手をこじ開ける、チームとしての連係、連動の精度を高めていかないといけない。リードしていてもしていなくても、速攻で点を決める、得点のチャンスを作る。できそうでできなかったので、速攻と遅攻の精度を上げないといけない」

 理想は高いが、森保監督にそれだけの時間があるのも確かである。就任12戦目で喫した初黒星も、たいした問題ではないだろう。今年は3月と6月にキリンチャレンジカップの4試合があり、6月にはコパ・アメリカも控えているためトライ&エラーの1年となる。森保監督にとって最初に真価が問われるのは来年の東京五輪。それまで攻守において、ラボ(実験室)での冒険を期待したい。

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六川 亨

1957年、東京都生まれ。月刊サッカーダイジェストの記者を振り出しに、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長を歴任。01年に退社後はCALCIO2002、プレミアシップマガジン、サッカーズ、浦和レッズマガジンなどを創刊して編集長を務めた。その傍らフリーの記者としても活動し、W杯や五輪などを取材しつつ、「サッカー戦術ルネッサンス」(アスペクト社)、「ストライカー特別講座」、「7人の外国人監督と191のメッセージ」(いずれも東邦出版)などを刊行。W杯はロシア大会を含め7回取材。現在は雑誌やウェブなど様々な媒体に寄稿している。

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