“反日”の罵声と壮絶な死闘、PK戦での奇跡… 日本の底力を見せた伝説のアジア杯連覇

2004年中国大会で日本は奇跡のストーリーを次々に紡ぎ続けた【写真:Getty Images】
2004年中国大会で日本は奇跡のストーリーを次々に紡ぎ続けた【写真:Getty Images】

【アジアカップ“王者”の記憶|第3回】2004年中国大会「酷暑と完全アウェーの地で起きた“奇跡”の連続」

 完全アウェーの中国で、日本は国歌もかき消す巨大なブーイングを浴びながら、奇跡のストーリーを次々に紡ぎ続けた。

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 欧州選手権とアテネ五輪に挟まれる時期に開催された大会で、欧州組の参加は中村俊輔(当時レッジーナ)と川口能活(同ノアシェラン)のみ。中田英寿(同ボローニャ)も高原直泰(同ハンブルガーSV)も招集できず、小野伸二(同フェイエノールト)もオーバーエイジで五輪に回った。

 過去に日本軍が爆撃を行った歴史を持つ重慶で行われたグループリーグは2勝1分の首位通過。ただしオマーン(1-0)にもイラン(0-0)にも劣勢を強いられ、ジーコ監督は酷暑の地で全て同じスタメンを貫いた。

 7月末から8月にかけての夏季開催である。確実に選手たちの疲労は蓄積した。しかも準々決勝はヨルダンの質の高い攻撃に苦しめられ、120分間の死闘の末に1-1からPK戦にもつれ込む。先攻の日本は、まず中村がスポットに向かった。ところが最も確信を持って送り出したエースが軸足を滑らせ、大きく蹴り上げてしまう。さらにヨルダンの1人目が成功し、三都主アレサンドロのキックも中村と同じように大きく枠を越えたところで、日本の宮本恒靖主将が主審にゴールの変更を申し出た。そして驚いたことに宮本の主張は認められ、明らかに流れが変わった。

 日本は3人目の福西崇史が初めて成功させるが、ヨルダンは3人目まで全員が決めて1-3。日本は後がなくなった。だが、ここから守護神の川口が奇跡の主人公に躍り出る。ヨルダン4人目のキックに見事に反応し、そこで気圧されたのか5人目も失敗。3-3のサドンデスから日本は6人目の中澤佑二のキックがセーブされるが、川口が再びシュートを弾いてクロスバーへと跳ね返す。日本は7人目の宮本がネットを揺すり、ヨルダンはポストに直撃。日本は決められれば終わりという状況を3度凌いで、PK戦を逆転勝利した。

 ところが、こうして重慶からの脱出に奇跡的に成功した日本には、再び究極の難局が待っていた。

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加部 究

かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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