始動前に交渉も「結局、不成立に」 掛け違えたボタン…岩政大樹氏が明かした胸中「答え出てない」

インタビューに応じた東京学芸大学蹴球部監督の岩政大樹氏【写真:FOOTBALL ZONE編集部 】
インタビューに応じた東京学芸大学蹴球部監督の岩政大樹氏【写真:FOOTBALL ZONE編集部 】

悔やまれたCB補強の遅れ

 2025年8月11日に北海道コンサドーレ札幌の指揮官の任を解かれ、いきなりフリー状態になった岩政大樹(現東京学芸大学蹴球部監督)。サッカー仲間や先輩の助けもあり、高校やクラブチームを指導する日々を過ごした。プロの現場から離れたことで、志半ばで終わってしまった札幌での挑戦を振り返ることができた。(取材・文=元川悦子/全6回の2回目)

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 解任されて最初の3日間は失意のどん底にいた。だが、まだ43歳。いくらでもやり直しが利く年齢だった。

「『自分の人生、このまま引きこもって過ごすなんてもったいないなあ』と思い始めたんです。とはいえ、僕は東京の家を引き払っていましたし、札幌にいるしかない。次にやることが決まっていないと行くところが見つからない。

『どうしたもんか』と思案していた時に、鹿島アントラーズ時代の先輩に当たる池内友彦さんが指導している東海大学付属札幌高校に呼んでくれたんです。池さんは自分が鹿島の若手だった頃にお世話になった人。声をかけてくれた時は本当に嬉しかったですね。

 並行して、タイで同時期にプレーしていた長野聡が今、副社長を務めている北海道十勝スカイアースに呼んでもらい、子供たちに教える機会をもらいました」と岩政は一番苦しんでいた時に救いの手を差し伸べてくれた恩人たちにまずは感謝した。

 そこから徐々に東京などに出向いて知り合いに会う気力が湧いてきた。サッカー関係者はもちろんのこと、大学の先輩や仲間を含めてサッカー以外の関係者とも積極的に会い、視野を広げようとした。

 鹿島と札幌で立て続けに志半ばで仕事が終わってしまった不完全燃焼感が色濃く残っていたこともあり、違った世界に目を向けることも考えたようだ。

「とはいえ、2025年のうちはサッカー指導が中心でした。10月下旬からは富山県の龍谷富山高校で3週間、臨時コーチを務めさせていただきました。

 龍谷の濵辺哲監督が学芸大時代の2年先輩なんですが、先輩が体調不良で一時休養していたこともあって、校長先生から直々に連絡をいただき、『高校サッカー選手権予選を戦ってくれませんか』と打診を受けました。

 準々決勝からの週だったんで、準々決勝で負ければ1週間、決勝まで行ければ3週間という話だった。契約更新が1週間毎ということで、勝つたびにアパホテルを回って宿泊し、高校生と向き合わせてもらいました。

 今、どこの高校もいろんな問題を抱えていて、龍谷富山も苦しいシーズンだったようですが、決勝まで勝ち上がることができて、一人一人が成長して絆を深めていく姿を目の当たりにして、ホントにドラマを見ているかのような感覚になりました。僕自身もすごく救われましたね」と岩政は『元日本代表』『元鹿島監督』といった肩書をかなぐり捨てて飛び込んだ結果、指導の素晴らしさを再認識したという。

 2025年前半の時点では予想もしなかった時間を過ごす中で、8か月で離れた札幌のことも冷静に考えられるようになってきた。そこで1つ悔やまれたのが、始動前に戦力を見極められなかった点だ。

「2024年夏にベトナムから戻ってきて、札幌の監督就任の話を進める際、当時の代表取締役GMだった三上さん(大勝=ガンバ大阪フットボール本部長)や強化部スタッフと翌シーズン頭にどういう選手を揃えるかを議論していました。

 岡村大八(現町田)という主軸が抜けることが分かっていたので、僕は新たな選手を取ってくださいとオーダーして、ある選手と交渉してもらったんです。それが結局、不成立になり、手薄なままスタートせざるを得なかったんです。

 でもチーム作りを始めてみると、どうしても人材が足りなかった。4バックをやれる人材がいなくて、3バックで開幕しましたけど、それを十分にこなせるCBは家泉怜依(現水戸)しかいなかった。一方で、3バックで配球を得意とする選手も多くありませんでした。

 実際、黒星先行の序盤になってしまい、夏の中断期間に浦上仁騎と宮大樹(現福岡)が来てくれて、ようやくバランスが取れた。そこからベースを固めてどうチームを上乗せしていくかというタイミングで離れることになってしまった」と岩政は神妙な面持ちで言う。

 このようなボタンの掛け違いはサッカー界ではよくあること。札幌に限った話ではないだろう。ただ、成績不振に陥った時、責任を取らされるのは監督だ。今季から横浜FCを率いている須藤大輔監督も「クビになるのは自分だから、やりたいと思う方向でチーム作りをさせてもらう」と話していたが、監督は自分自身が後悔しないマネージメントを進めていくしかないのだ。

 常に周りのことを考え、自分より他人を尊重する傾向の強い岩政はそういう世界の現場トップはあまり向いていないのかもしれない。本人も慎重なスタンスになったのは確かだ。

「現場は好きだし、選手を指導して成長させることにはやりがいを感じますけど、それがJクラブのトップの監督なのかと言われれば、今はまだ答えが出ていないです」と複雑な胸中ものぞかせる。

 こうした苦い経験を踏まえ、彼は2026年に新たな一歩を踏み出すことになったのだ。(本文中敬称略。第3回に続く)

(元川悦子 / Etsuko Motokawa)



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元川悦子

もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。

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