上田綺世、衝撃2ゴールに隠された“後悔” 始まりは4年前…敗戦後に口にしていた誓い

「一本のチャンスで決められるFWは決められる」
スタジアムが青く染まっていた。
メキシコ・モンテレイ、現地のサポーターまでが日本代表に声援を送る蒸し暑い夜。その熱狂の中心にいたのが上田綺世だった。2ゴールを叩き込み、チュニジアを相手に4-0の快勝を手繰り寄せた背番号18は、試合後、額に垂れる汗を拭いながらこう言い切った。
「率直に嬉しいです。4年前、自分が悔しい思いをして、そこから積み上げてきたものが繋がったかなと思います」
その言葉には、単なる1試合の達成感以上の重みがあった。
前回のカタール大会、上田はチームの一員として大会に参加したものの、出番を得たのはターンオーバーで臨んだコスタリカ戦のみ。その試合も見せ場を作れず、45分間の出場機会に限られた。自分の力をW杯のピッチで示すことができなかった上田は、敗戦後にこんな言葉を残した。
「どんなに押し込まれても、どんなにボールが来なくても、一本のチャンスで決められるFWは決められる。次のW杯を見据えた4年、自分のキャリアを通して常にトライしていきたい」
悔しさの中から絞り出したその言葉は、強がりでも慰めでもない。この4年間をどう生きるか、そこに向けた自分自身への宣言だった。
あの宣言から時が経ち、上田はその言葉を実行するためにひたすら積み上げてきた。ベルギーのセルクル・ブルージュからオランダのフェイエノールトへ。世界のトップDFたちと渡り合うためのフィジカル、前線からの守備でも貢献できる強度を身につけた。その上で、ストライカーとしての動き出し、シュートの質にも磨きをかけ、ヨーロッパの舞台で得点を量産し続けた。
「ここ最近、いろいろなシュートの形をちょっとずつ自分の中で新しく練習してきて、そのフィーリングが良くなってたところだった。それが試合でも生きたかなと思います」
その言葉通り、この日のシュートには迷いがなかった。
待ちに待った場面は31分にやってきた。板倉滉の鋭い縦パスを受けた時点で「正直、自分でシュートを打つことはほぼ決めていた」。右サイドを抜け出した伊東純也を囮に使い、思い切りよく右足を振った。相手の股下を抜いた強烈なシュートはゴール右に決まり、上田が求め続けていたW杯初ゴールが生まれた。
コーナー付近まで歩み寄り、両手の人指し指を立てて天に向けるお馴染みの「祈りのポーズ」を見せた男は、今回のゴールの価値をこう表現した。
「やっぱり今まで自分が決めてきたゴールとは、喜びもそうだし、達成感も、自分が背負っているものもそうだし、これまでとはまったく違う感覚だった」
83分には自身2得点目も記録した。「ニアゾーンを上手く突いて、ゴール前にスペースを作る」というチームとしての狙いを体現したところから生まれたヘディングシュート。スペースへ飛び込んでしっかりとゴールネットを揺らした。
それでも上田は自分の得点を誇示することはなかった。「今日の試合で言えば、それでチームの状況が良くなって勝利に繋がったなら、少し仕事ができたんじゃないかなと思います」。2ゴールを挙げてなお「少し仕事ができた」と表現するその言葉が、この4年で培ったFWとしての成熟を物語っている。
「僕の一番の原動力は家族。自分の妻もそうだし、子供も生まれて」
試合後、上田は多くの後押しを受けたスタジアムの光景について触れた。
「正直、ここまで日本一色になるとは全く思っていなくて。もちろん日本から足を運んでくれたサポーターの方々も多くて、(その中にも)現地の方々がいて、それだけ日本がリスペクトされて応援されている。そういう国であり、そういうチームであることがすごく誇りだし、誇りだからこそ結果で貢献したかった」
この4年間を支えてきたのも、そうした存在だった。
「僕の一番の原動力は家族。自分の妻もそうだし、子供も生まれて。現地に来てくれる両親、兄弟、友達がいる。遠くに行けば行くほど、その期待に応えられていると思う。僕の原動力は応援してくれている日本のファン・サポーターの方もそうだし、そういうところにあります」
メキシコまで駆けつけた家族の前で、2ゴールという答えを出した。青く染まったスタジアムの声援が後押しした夜に、上田はストライカーとして歩んできた日々の正しさを結果に変えたのだ。
「一本のチャンスで決められるFWは決められる」。4年前にこう誓った男は、その言葉通りの結果を手に入れた。「4年前の悔しさは同じ場所でしか拭えない」と言い続けてきた上田綺世が、W杯のピッチでようやくその答えを示した。優勝を目指す戦いはまだ続く。だが、今夜だけは、4年分の積み上げを噛み締める時間があっていい。
(林 遼平 / Ryohei Hayashi)

林 遼平
はやし・りょうへい/1987年、埼玉県生まれ。東日本大震災を機に「あとで後悔するならやりたいことはやっておこう」と、憧れだったロンドンへ語学留学。2012年のロンドン五輪を現地で観戦したことで、よりスポーツの奥深さにハマることになった。帰国後、サッカー専門新聞『EL GOLAZO』の川崎フロンターレ、湘南ベルマーレ、東京ヴェルディ担当を歴任。現在はフリーランスとして『Number Web』や『GOAL』などに寄稿している。














