名門校初のW杯戦士「悲願」 異例の3度目で入学…恩師が目にした”別人の姿”「とんでもない」

鈴木唯人を指導した市立船橋サッカー部の波多秀吾監督
5月15日の北中米ワールドカップの最終メンバー発表は、学校の教室で1人で見ていた。
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「怪我もあったし、本当に選ばれるかどうか分からない状態でした。間に合うとは聞いていましたが、やっぱり不安の方が大きかったので、名前を呼ばれた時はホッとしたというか、本当に嬉しかったです」
こう素直な思いを口にするのは市立船橋サッカー部の波多秀吾監督。「それまで2人の鈴木が出てきていたので、3人目はもうないのかと思いました」と一瞬思ったが、教え子である鈴木唯人の名前が読み上げられたときには、全身の力が抜けたような気がした。
「これまで市船からは一度もワールドカップ出場選手が出たことがなかったので、僕としても、サッカー部としても悲願の1つでした。それを達成してくれた唯人には感謝しかありません」
選手権優勝5回、インターハイ優勝9回、全日本ユースU-18選手権(現・高円宮杯プレミアリーグ)優勝1回と、長い間名門校として高校サッカーを最前線で牽引し続けた強豪に唯一足りなかったもの。その喜びは計り知れない。
さらに波多監督にとって、鈴木は指導者人生においても大きな影響を与えてくれた選手の1人だと言う。初めてプレーを見た中学3年生の時から、高校3年生のぶつかり合いに至るまで。彼と過ごした時間と心の動きなどを深く語ってもらった―。(取材・文=安藤隆人/全4回の1回目)
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2019年の春、当時市立船橋サッカー部のコーチだった波多秀吾の携帯が鳴った。電話主は知り合いの千葉県トレセンスタッフからだった。出てみると、「神奈川の中学校で市船に行きたがっている選手がいるから、ぜひ一度見て欲しい」という内容だった。
その際に葉山町立葉山中学校サッカー部監督の加藤歩の電話番号を告げられ、切った後に波多は直接加藤に連絡をしたことで、練習参加をすることが決まったのだった。
練習参加当日、高校生に混じってプレーする鈴木の印象はかなり薄かった。技術は高いし、キレもあるが、「俺を取れ」という気概は感じ取ることができなかった。
「1回目は緊張や強度の違いもあって自分を発揮できないまま終わる選手はいます。なので、唯人にも2度目の練習参加をお願いしました」
しかし、2度目の練習参加でも存在感を放つことが出来ず。合格通知は出さなかった。だが、波多が驚いたのはこの後だった。
「もう1回だけチャンスをください。練習参加させてくださいと彼からお願いがあったんです。普通の選手は2回参加してダメだったら次の高校に行ってしまって、地元・千葉の子以外で3回目を受ける選手は初めてだったんじゃないかな」
執念を感じた市船スタッフは3回目を受け入れると、そこには過去2回とは別人の姿があった。大人しかった少年が、鋭い出足と力強いドリブルからのシュート、クロスを次々と披露し、周囲を圧倒した。当時の朝岡隆蔵監督も「とんでもない選手だ」と絶賛し、まさに3度目の正直で市船入りを勝ち取って見せたのだった。
「1、2回目は煮え切らない感じだったのですが、3回目は全てから解放されたかのように自分の本当の力を存分に発揮した。あのインパクトは市船スタッフ全員が強烈だったと思います。僕も『この選手は凄い選手になる』と期待を抱くほどでした」

高校2年からトップチームでプレー
1年目は時折Aチームにこそ上がっていたが、ルーキーリーグが主戦場だった。トップに定着しなかった理由は、サイズはそこそこあって、スキルもスピードもある。どこが適正ポジションなのかなかなか見出せなかったことだった。
「ボランチ、シャドー、FW、サイドハーフと前の方で使っていましたが、どこでもそれなりにこなせる子だったので、どこが合っているのかは悩みました。特別尖った武器があるわけではないけど、ドリブルは取られないし、パスはうまいし、守備も下手じゃない。キックのうまさを含めてトータルスコアの高い選手であることに間違いはなかったのですが、そこは掴みきれませんでした」
試行錯誤しながら複数のポジションをこなしていく中で、トータルアベレージをさらに高めていったことで、2年生になるとトップチームの主軸となり、高円宮杯プレミアリーグEASTで全試合出場を果たした。その時のメインポジションはトップ下、左右のサイドハーフで、ドリブルとパスで攻撃のリズムを組み立てる存在だった。
そして、鈴木が高校3年生になった時に朝岡の後を引き継ぐ形で波多がサッカー部の監督に就任をした。監督就任1年目だったこともあり、シーズン開幕当初はボランチ起用もし、徐々にシャドーやサイドハーフの起用が多くなっていった。
適正ポジションはどこなのか。彼の突破力とキックを考えたら最前線で自由にやらせた方がいいんじゃないか。起用法に悩む波多にとって、彼は3年生になっても掴みどころのない選手だった。
「彼はあまり自分の感情を表に出すようなタイプではなかった。1年生の時もBチームに落ちても、悔しさを顔に出したり、ふてくされたりすることなく、淡々とプレーしていた。入学してからは3回目の練習参加で市船入りを勝ち取ったようなギラギラ感をあまり感じられなかったので、物足りなさをずっと感じていました。『この子はもっとできるはずなのにな』と、指導者としての歯痒い思いがより強くなって行ったんです」
この歯痒さがついにピークを迎えた時が訪れた。その時間は波多にとっても、鈴木本人にとっても、チームにとっても、とてつもなく大きなターニングポイントとなる出来事だった。
(安藤隆人 / Takahito Ando)
安藤隆人
あんどう・たかひと/岐阜県出身。大学卒業後、5年半の銀行員生活を経て、フリーサッカージャーナリストに。育成年代を大学1年から全国各地に足を伸ばして取材活動をスタートし、これまで本田圭佑、岡崎慎司、香川真司、南野拓実、中村敬斗など、往年の日本代表の中心メンバーを中学、高校時代から密着取材。著書は『走り続ける才能達 彼らと僕のサッカー人生』(実業之日本社)、早川史哉の半生を描いた『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、カタールW杯のドキュメンタリー『ドーハの歓喜』、新刊は『ともに歩き出す サッカーと家族と新しい日常』(ともに徳間書店)。講演家としても全国を回っている。元・名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクター(2022年〜2026年4月)、現・國學院大學体育連合会蹴球部コーチ。












