田中碧がポツリとこぼした言葉「ポジティブだよなあ」 栄養士兼シェフが悟った“仕事の本質”

日本代表MFの田中碧【写真:徳原隆元】
日本代表MFの田中碧【写真:徳原隆元】

奥隅知里さんは田中碧の管理栄養士兼シェフを務める

 日本代表MF田中碧は、食に対するこだわりが強い選手だ。奥隅知里さんがサポートを始める前から、周囲からはその徹底したプロ意識について耳にしていた。妥協を許さない相手だからこそ、サポートする側にもそれ相応の「プロとしての対峙」が求められる。だからこそ奥隅さんは、当初、彼との最適な向き合い方や距離感を慎重に模索していた。そんな彼女の肩の力をふっと抜いたのは、キッチンに立つ自分にぽつりと投げかけられた、一言だった。(取材・文=林遼平/全3回の2回目)

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 栄養をどこまで気にするかは選手それぞれである。こだわりが強ければ栄養士さんを雇うことになり、さらにシェフを雇って食事提供をしてもらったりする選手もいる。一方で、栄養士は雇わず、シェフの人がすべてを担うパターンもあるという。

「選手がどこまで求めるか、選手の食に対するこだわり方によって変わります。極端に言えば、美味しさを優先する選手もいる。そこが選手によっていろいろだからサポート体制も変わってくる感じです」

 もともと最初は1年の契約だった。だからこそ、その1年でどれくらいできるかが求められていた。

「ドイツに行きましたけど、翌シーズンがどうなるかは確約されていないですし、契約しないとなればそれまで。だからこそ、ちょうどワールドカップが終わった後に契約しましたけど、次のワールドカップまでは継続希望してもらえるように、オファーを出し続けてもらえるように結果を出すぞみたいな感じではありました」

 最初は自分自身の立ち位置を慎重に探る感覚があった。自身のキャラクターを前面に出し過ぎて、距離感が離れてしまっては意味がない。サポートする側としてどうあるべきか。常に最適解を模索しながら仕事に臨んでいた。そんなある時のこと。キッチンで料理に集中していると、背後でぼんやりと眺めていた田中が、しばらくの沈黙の後、独り言のように言葉をこぼした。

「『いやあ、なんかポジティブだよなあ、オーラが』って言われて。私としては、『え、変なこと言いました?』みたいな感じでしたけど、そしたら『いや何も言ってないです』って(笑)。そう言ってもらえたのはすごく覚えています」

 何かポジティブな発言をしたわけでも、意識的に振る舞ったわけでもない。ただそこにいただけで、出てきた言葉だった。その時、奥隅さんは、この仕事の本質の一端に触れた気がしたという。

「やはり私の仕事って、人様のおうちのキッチンに入って、結構な時間を過ごすので、栄養士さんが持つオーラや雰囲気が選手に影響を与えることもあるのかなと思いました。改めて面白い仕事だなと感じました。言ったら普通に考えられた食事を作って出せばそれだけでいいのかもしれないですけど、ただ佇んでるだけでも影響があるんだなと。そういう力や能力も大事なのかなと思いましたね」

「すごく勉強しているんだなと思います」

 仕事の内容自体も、奥隅さんにとって予想以上に手応えのあるものだった。田中は栄養に関して自分でも勉強しており、一方的な指示を受け取るのではなく、一緒に考えながら進めることを好んだ。奥隅さんもそれに合わせた。

「彼が最近のパフォーマンスで気になること、コンディションで気になること、私が見てて気になることをディスカッションして、こういう栄養素をとってみようか、こういう栄養素をもうちょっと減らしてみよう、増やしてみようかという感じで、一緒に作っていく感じです」

 決定権は必ず田中に渡すようにした。「AとBがある、私はこう思う、どうですか」という形で情報を投げ、判断は選手に委ねる。こちらが正解を押し付ける形にはしない。

「専門的な言葉で『それはこうでこうだから』と返ってくることもあります。すごく勉強しているんだなと思います」

 コミュニケーションの方法も選手によって変わる。料理をほとんどしたことがない選手ならば、野菜の切り方から教えることもある。「いかに引き出しを持っているかが大事」と奥隅さんは言う。知識だけでなく、対人スキルとしての引き出しが、栄養士の仕事の質を決めるのだ。

 食材については、日本から持参するものと現地で調達するものを使い分けている。品質を担保するため、日本特有の食材は日本から持ってくることが多い。ただ、現地の食材は日本と成分が異なることもあり、完全に同一の栄養計算はできない。一人でシェフも栄養士も兼ねている以上、キャパには限界があるが、できる範囲内で成分表を調べるなど、やれることをやり切っている。

「日本と同じ野菜でも味の濃さや栄養成分が違います。日本で出されている栄養成分表は、日本の食材で出されているので、そういうのも違うと思います。水や湿度、環境自体も違うので。日本とまるっきり一緒という考えは無理ですね」

 ドイツ時代には、有機野菜が普通のスーパーに並んでいる光景に驚いたという。日本ではこだわりの店に行かないと手に入らないようなものが、当たり前のように棚に並んでいた。「そういう文化や違いも面白いなと思ってました」と奥隅さんは笑う。現地の食材と格闘しながらも、その過程を純粋に楽しんでいる部分がある。

 難しいのは、日々の選手との向き合い方だ。例えば、試合結果やプレー内容によってフラストレーションが溜まっている時もあるだろう。なかなか試合に出られない時期だってある。上手くいっている時、上手くいっていない時が存在するのは当然のことだ。試合を観戦し、メディアの評価を見て、帰ってきた時の雰囲気を読む。ただ、予想通りにいかないことも多い。

「落ち込んでそうだなと予想してても意外とそうでもなかったり。逆のパターンもあります。だから、もはやわからない前提で、顔色や表情、声のトーンで、五感どころか十感ぐらい使って、どの私で行こうか、どの言葉数でいくのかをその時に判断しています」

 負けたから距離を置く、活躍したから積極的に関わる、という単純な図式ではない。ただ、毎回、目の前の選手を見て、その都度動く。それが選手との信頼につながっていくのだ。

 そして、その判断を誰かと相談できるわけではない。この仕事の難しさは、選手との距離感だけにあるのではなかった。

(林 遼平 / Ryohei Hayashi)



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林 遼平

はやし・りょうへい/1987年、埼玉県生まれ。東日本大震災を機に「あとで後悔するならやりたいことはやっておこう」と、憧れだったロンドンへ語学留学。2012年のロンドン五輪を現地で観戦したことで、よりスポーツの奥深さにハマることになった。帰国後、サッカー専門新聞『EL GOLAZO』の川崎フロンターレ、湘南ベルマーレ、東京ヴェルディ担当を歴任。現在はフリーランスとして『Number Web』や『GOAL』などに寄稿している。

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